◆2024年度 秋季例会(第301回例会)
・※学生会員研究発表会(第18回)
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◆2023年度 秋季例会(第297回例会)
・※学生会員研究発表会(第17回)
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◆2022年度 秋季例会(第293回例会)
・※学生会員研究発表会(第16回)
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◆2021年度 秋季例会(第289回例会)
・※学生会員研究発表会(第15回)
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◆2020年度 秋季例会(第283回・第285回例会合同)
・第一部(第285回例会の部)※学生会員研究発表会(第14回)
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◆2019年度 学生会員研究発表会(第13回)
【発表要旨】
1.『今昔物語集』における異類遭遇譚の分析
発表者 教育学研究科修士課程二年 戸口 桃吾
『今昔物語集』は諸研究者より「庶民生活を知る上で価値のある文献」と評価を受ける説話集であるが、特に「霊鬼類」と類された巻第二七からは、当時の人々の「まつろわざるモノ」たちへの不安や恐怖が読み取れる。
本発表では、巻第二七に収められた説話における「異類との遭遇」に焦点を当て、分類、分析を試み、説話と中世社会の繋がりを探る。分類は@「家などの特定空間内での待ち受け」A「橋や辻、木の下など境界上での待ち受け」B「百鬼夜行」の三つの型に分け、他の文献との比較を行い、整理した。その中でも特にAに関しては、向こうからの呼びかけという他の型にはない特徴を見出すことができた。この特徴が、平安時代後期に急増した「職能民」の存在との関係性において理解できるのではないかということを論じる。
2.『文学サークル』の不協和音―〈勤労〉イデオロギーの再生産と亀裂 ―
発表者 教育学研究科修士課程二年 何 雅h
『文学サークル』は戦後労働争議の最中に現れた第一期のサークル誌で、「勤労者文学」を発展させる場として機能していた。新日本文学会系のサークル誌のなかで比較的に自由な編集方針を持つ『文学サークル』には、サークル運動に参加した労働者らが発する批判的な声が隠されていた。
本発表では、「勤労者文学」と、それをめぐる文学者・サークルメンバーの〈勤労〉像についての規定を検討する一方、無批評に受け入れられる〈勤労〉イデオロギーや、文学者によって掲げられる宣伝文学としての「勤労者文学」を批判的な視座から捉えるサークルメンバーの言論、つまり『文学サークル』の内部にある不協和音をも取り上げる。戦後のパラダイムシフトの中、戦前から流れてくる<勤労>イデオロギーはどのように継承され、またどのように批判されていくのかを、その当時の社会文脈と照合しながら分析し、見落とされてきたサークル運動の批判性の可能性を提示したい。
3.『黒い雨』の教材化
発表者 教育学研究科修士課程二年 和田 有希彩
教材『黒い雨』は、その一部を抜粋する形で教科書に掲載されてきた。そのためか、授業の多くでは「原爆の恐ろしさ」、「戦争の恐ろしさ」を伝え、またそこから「平和の大切さ」を考えるものとして取り扱われてきた。無論、本作品の根底にあるのはこうしたテーマである。しかし、従来の多くの授業では、本作品を単なる原爆体験記として捉えるのみで、文学作品として読むという視点が欠けてしまっているのではないだろうか。本発表では、高校生を対象として『黒い雨』全編を用いた授業を提案したい。これによって、文学作品としての面白さを感じられるだけなく、「当事者意識」という今日的な問題について考える契機となる。また、本作品が日記記述を多分に含むことから、中・高の古典の授業で扱った「日記文学」との関わりに触れ、そこから見える本作品独自の点について考えるとともに、長くにわたって続く「日記」という文化から日本文学を捉える機会となる。
4.「家」という視座で読む『今とりかへばや』― 心中思惟表現を中心にして ―
発表者 教育学研究科修士課程二年 五十嵐 萌
本発表では家を存続させるという「家」の視点から『今とりかへばや』の登場人物の心中表現を考察する。本作品の中心人物を誰とするのかについては男装の姫君である女中納言説を中心に諸説ある。しかし女中納言を中心人物に据えると巻四における彼女の登場頻度の低さを説明することができない。そこで辛島正雄氏の調査方法に則り心中思惟表現の数量から本作品の中心人物を再調査を行なった。女中納言の心中表現の出現傾向は巻三の半ばから頻度、数量共に減少し、対照的に男内侍は増加した。その境界は他者から両者が本来の性として認知される場面と一致しており、『今とりかへばや』の焦点が当たる人物は各場面における左大臣家を存続させる人物であるとし、中心人物は女中納言、男内侍、父左大臣であるとした。三人の登場人物達の心中表現の内容と数量と各人物の「家」意識との連関について検討する。
5.日本語人称詞の通時的研究
発表者 教育学研究科修士課程二年 山中 梓
日本語の人称詞は西欧言語と比べて特殊である。西欧言語は、性別や単数・複数などの要素によって、使われる人称詞が選択され、述語動詞の語形もその選択に連動するが、日本語には、文法上そのような厳密な選択や連動現象は見られない。また、日本語の人称詞は、語彙も豊富で、時代によって変遷が激しい。
このような特殊性ゆえに、日本語の人称詞に関して、多くの研究がなされてきた。
しかし、その研究の多くは、限定的なものだったと言えよう。大部分が各時代、あるいは個別の人称詞についての考察であり、そこには時代を通しての見通しが欠けていた。また、扱われてきた文学資料の範囲も限られている。
そこで本発表では、人称詞が増えていく時代である、上代から近世までに焦点を当て、人称詞の体系を描く。先行研究で扱われてこなかった文学資料から人称詞を収集し、その全体像を示すとともに、位相差・文体差など様々なアプローチから考察を展開する。
6.『更級日記』の教材としての価値について
発表者 教育学研究科修士課程一年 下西 美穂
戦後教科書、その指導書について調査を行い、『更級日記』の教材としての価値の変遷について考察する。
現行教科書において『更級日記』の掲載部分は、『源氏物語』について言及される冒頭「門出」部分と、「物語」部分であることが安定化している。また、教科書における『更級日記』での問には『源氏物語』に関するものが設けられるなど、『更級日記』は『源氏物語』と関連させて学習させる教材としての価値を持つ。しかし、採録当初は『更級日記』の掲載箇所は出版社によって異なり、『源氏物語』との関連を意識したものではなかった。
時代とともに、『源氏物語』を読むための仕掛け、策として、『更級日記』が扱われるようになり、『更級日記』の教材としての価値は変遷する。
『更級日記』の教材としての価値の変遷を時代背景とともにたどることで、なぜ『更級日記』がこのような役割を担うこととなったのかについて考察する。
7.国語科教育における「面接」を扱った授業提案
発表者 教育学研究科修士課程二年 深澤 克俊
本発表を行う目的は、国語科教育における「面接」の扱い方を見直し、「話すこと・聞くこと」を学習するための活動として効果的に活用する方法を提案することである。
「面接」は、まず面接官の質問を受けてから話すことになる。話す前提に質問があり、その質問に応答する力が求められる。立場の異なる人間が質問と応答を繰り返すことで互いを理解するという形は、他の「話すこと・聞くこと」の活動とは異質なものであると言える。しかし従来の国語科教育における扱い方は、「面接」の形式を学習するためのものが多く、質問や応答といった言葉のやりとりに着目した「話すこと・聞くこと」の学習とは言い難いものであった。
「面接」は就職や進学などの節目で学習者が経験するため、彼らの実生活との関係も深い。その独特な形式も味わわせながら、受験者と面接官の双方を体験させるなどの工夫を通して、「話すこと・聞くこと」の活動として活用することを試みる。
◆2018年度 学生会員研究発表会(第12回)
【発表要旨】
1.『善知安方忠義伝』に見る京伝の試みた"読本"像
発表者 教育学研究科修士課程一年 小林 俊輝
一般に、従来の読本研究では「馬琴の読本は構想、文章ともはるかに京伝を凌ぐものがある(清水正男氏「善知安方忠義伝について」)」と言われるように馬琴中心に評価されてきたきらいがあった。その中で山東京伝の読本は「(趣向源に)種を明らかにしやすいものが多く(中略)小説通からは飽きられやすく(徳田武氏『馬琴京伝
中編読本外題』)」、「勧善懲悪の鉄則で作品を支配するに京伝はその能力にも資格にも欠けていた(清水正男氏「忠臣水滸伝について」)」などの評価を受けることが少なくなかった。しかし、近年になって大高洋司氏らによって、京伝読本の再評価が行われつつある。
本発表では、『善知安方忠義伝』を取り上げ、『忠臣水滸伝』に始まる京伝読本の歩み、本作における典拠と改変された設定、題名にもある善知安方の存在意義、親交のあった鶴屋南北から受けた影響などに言及しながら、読本史における『善知安方忠義伝』の再評価を試みる。
2.堀辰雄文学の〈歩行〉
発表者 教育学研究科修士課程二年 高橋 賢人
本発表では、エッセイ「快適主義」を出発点に、『美しい村』までを射程としながら、作家としての出発点において堀辰雄が発見した「足」の運動=<歩行>が堀辰雄文学のなかでどのような役割を担っていたのかを考察する。
なお、考察に当たっては四つの区分を設けながら行うこととする。第一期目は、堀の一高時代であり、ここでは思想としての<歩行>が強調されていることを確認する。第二期目は同人時代であり、ここでは<歩行>が実作に落とし込まれるにあたって、身体的側面を帯びていることを確認する。第三期目は商業誌デビュー後であり、このころの<歩行>が作中における<夢>や<無意識>の表出の起点となっていることを見て行く。第四期目は、いわゆる軽井沢文学の時期である。ここでは『美しい村』を扱いながら、「歩行」という行為が物語の構造の支柱となっていることを指摘したい
3.談話に現れる「あの」「その」の諸相―ディスコースマーカーとフィラーに着目して―
発表者 教育学研究科修士課程一年 石川 加奈子
談話に現れる「あの」「その」は従来、発話の間に挟み込まれたフィラーとして扱われるか、談話において何らかの機能を持ったディスコースマーカーとして扱われるか、いずれか一方の立場から分析されてきた。しかし実際これらの「あの」「その」は、無意識に発話されるという特性もあり、比較的強いマーカーとして働くものと、単なる言いよどみに近いものとの境目が曖昧で完全な分類が難しく、どちらかの観点から分析するだけでは不十分である。また、「あの」「その」はいずれも指示詞から派生しているにも関わらず、両者の機能の差異やア系・ソ系指示詞からの影響に関する研究は多くなく、未だ十分な考察が成されているとは言い難い。
本発表では、フィラーとディスコースマーカーの両方の側面を考慮しつつ、談話に表れる「あの」「その」の機能分担や、ア系・ソ系指示詞の機能との関係性についてコーパス及び小説作品から用例を採集し考察を行う。
4.自己不全の認識へ―伊藤整「イカルス失墜」における循環的自意識の構造―
発表者 教育学研究科修士課程二年 佐久間 史瑞
本発表では伊藤整「イカルス失墜」の本文分析を中心とし、作品を再評価していく。伊藤整の初期作品における分析や評価は「幽鬼の街」や「幽鬼の村」に集中しているが、「イカルス失墜」をどのように読むのかによって、「幽鬼の街」「幽鬼の村」などの初期作品の読みにも影響を与えると考える。「イカルス失墜」は「視線」と「傷跡」がモチーフとなっており、それによって自己の存在とその醜さが強調されている。「イカルス失墜」には、童話作家との手紙のやり取りを中心に〈私〉の行き詰まりが具体的に示されており、そうした停滞を解決する手立てが「幽鬼の街」で方法的に結実するのだが、「イカルス失墜」は過去を回想するのみで閉鎖的に終わっている。「イカルス失墜」は読後、〈私〉の行方など未解決の問題を読者に考えさせる点で特異であり、再検討されなければならない。
5.国連国際学校における母語教育の取り組み
発表者 教育学研究科修士課程三年 坂本 樹
本発表は、発表者が1年間フィールドワークを実施した国連国際学校における母語教育の実践事例を報告し、考察のための理論的な視座を検討するものである。発表は、以下の内容で構成する。
第1に、国連国際学校の母語クラスで実践された単元の事例を報告する。単元の目的や、観察された学習活動、評価活動を整理し、クラスの中でどのような活動が行われていたのかを事実に即して詳述する。
第2に、報告した単元の中で、学習者がどのような学びを実現したのかを、学習成果物をもとに解説する。単元のまとめで学習者が提出した成果物だけではなく、指導過程におけるノートの記述も参考に、学習者の学習過程を解説する。
最後に、報告した単元の内容を考察するにあたり、理論的な視座の可能性を検討する。カリキュラム設計論、指導方法論、評価論などの様々な論点のうち、国連国際学校での取り組みを効果的に説明できる論点を挙げ、今後の展望を示す。
6.「書くこと」におけるビジネス文章作成技術の可能性
発表者 教育学研究科修士課程二年 加瀬 幸志朗
論理的な文章の表現指導を行う際、「構成」の方法を指導することは一つの有効策であることが言われている。たとえば、構成を表す用語としては「はじめ・なか・おわり」や「頭括型・双括型・尾括型」「序論・本論・結論」などが存在する。しかし、これらの用語の使い分けはどのように行われているか、構成を表す用語の内実は不明瞭なままではないか。そこで、現在使用されている国語科教科書の「書くこと」の領域を中心に構成という用語がどのように用いられているのかという調査を行った。その結果、異なる用語が用いられていても、同構成の文章があるなど、構成という用語の使い方に疑問が残された。
7.達磨と茶―ラフカディオ・ハーン『中国怪談集』所載の話をめぐって―
発表者 教育学研究科博士後期課程二年 橘 和久
ラフカディオ・ハーンの『中国怪談集』所収の話に、「茶の木縁起」というものがある。これは、修行中に誘惑に負けて眠ってしまった僧がそのことを恥じてまぶたを切り落としたところ、そのまぶたから茶の木が生えた、という内容である。これと似た話がエンゲルベルト・ケンペルの『日本誌』に載っているが、そこでは禅宗の開祖たる達磨こそがまぶたを切り落とした僧であると明記されている。しかしながら、『景徳伝灯録』などに見られるような達磨の伝記には、茶の起源に関する話はない。また、ケンペルもどこで聞いた話であるかを明らかにしていない。
そこで、本発表では、この達磨と茶にまつわる伝説の出自と形成の過程を明らかにしていくことを主眼とする。達磨にまつわる話が数多く残る中国や日本にとどまらず、漢字文化圏であった東アジアの国々の伝説も調査対象に加え、達磨と茶の木の話がどのような変遷をたどったのかを考察していく。
◆2017年度 学生会員研究発表会(第11回)
【発表要旨】
1.女房へのまなざし―『源氏物語』女房の呼称の使い分けについて―
発表者 教育学研究科修士課程二年 大野 由貴
平安時代の物語文学において、女房は主要な登場人物の間を取り持ち、繋ぐ役割を果たしていた。主人への対面や手紙の取次をしたり、主人らに意見したりなど、その役割は物語の展開上重要である。また、一口に「女房」と言っても内情はさまざまで、宮中の女官である上の女房から、一主人に仕える家の女房、さらにはそれらの女房にかしずく女房まで、複雑な階層が存在した。『源氏物語』においては、これらの多様な女房が書かれ、物語を支えている。彼女たちは時に名を持つ個人として、また時に主人にかしずくひとつの集団として、物語の中に立ち現れてくる。
本発表では、『源氏物語』の女房たちの中でも、特に「君」「おもと」などの敬称がとられる女房を取り上げる。『源氏物語』以前の仮名文学における女房たちの敬称を考えた上で、本作品において敬称がとられる女房はどのように語られているのか、またどのように物語に組み込まれているのかを論じていく。
2.『源氏物語』の和歌の方法―宇治十帖を中心に―
発表者 教育学研究科修士課程二年 河辺 優希
本発表では、青表紙本を底本に、『源氏物語』宇治十帖の和歌について正編との対照・検討を通して考察する。なお、今回は成立論には触れないこととする。
まず、宇治十帖のなかで正編の和歌・場面を踏まえて詠まれている和歌を提示する。なぜその和歌・場面が正編を踏まえていると考えられるか、詠歌人物・場面状況や歌語の使用方法、地の文の語句など詳細に検討して示す。歌語については『源氏物語』内での使用例にとどまらず、『源氏物語』以前の例や同時代例も調査することで、『源氏物語』そのものに拠った用いられ方かを明確にする。また、正編の場面を踏まえていると考えることによってどのような効果がもたらされるか、これまでの解釈とどのように変わるかなども考察したい。
つぎに、正編の和歌にはあまり用いられず、宇治十帖に偏って使用される歌語を掲げ、その特徴等を考察する。
以上の二つの側面から、宇治十帖の和歌の特徴・方法について考える。
3.「俳文」教材として見た『おくのほそ道』
発表者 教育学研究科修士課程一年 長谷川 美菜
『おくのほそ道』は、学校教育における「定番教材」の一つである。中学校においても昭和五十年代には全社が『ほそ道』を採録している。
学校教育においては、『ほそ道』は芭蕉の実際の旅を描いた紀行文として読まれている。しかし、一九四三年、曾良による自筆の覚書『曾良旅日記』が信憑性を得たことで、内容には虚構性を含むことが裏付けられた。
本発表では、内野勝裕氏・堀切実氏が高校生・大学生に行った授業後の感想例を紹介し、虚構性を内包した文章の完成度をめぐる『ほそ道』享受の差異について取り上げる。採録率が最も高い「序章」について、学校教育では『ほそ道』が「予」ではなく「芭蕉」の実際の旅心を描いた紀行文として読まれていることを、各教科書の学習のてびきから示す。さらに現在の注釈が言葉の説明のみであることを指摘し、教科書の注釈が虚構を内包した俳文として見た『ほそ道』に果たす役割について再検討し、問題提起を行う。
4.初期三島由紀夫の文壇進出戦略―『盗賊』を視座にして―
発表者 教育学研究科修士課程二年 本橋 龍晃
戦前の作風から一新を図り、文壇進出の機会を探っていた三島由紀夫は、川端康成に師事し批評を受けることで、鎌倉文庫の雑誌『人間』への作品掲載を目論んでいた。三島は表現の革新性を持っていたはずの「無意識を無意識として描く」新心理主義が、逆説的に表現の「涸渇」に陥っていることを指摘し、論理的な心理分析を駆使した長篇小説『盗賊』を構想した。これまで研究上で言及されることの少なかった『盗賊』は、川端からの影響のみならず、三島の初期作品と文学理論の生成過程を理解する上で重要なテクストなのである。本発表では、『盗賊』の草稿段階と完成稿を比較し、三島と川端が精神分析の枠組みである遺伝と環境の両面からテクストを修正し、従来の新心理主義や既存のリアリズムに対抗しようとしていたことを明らかにした。『仮面の告白』へと至る三島の初期作品と文学理論は、川端からの批評を受けることで生み出されていたのだ。
5.鷺沢萠『ウェルカム・ホーム!』の教材化―"性"と"生"を考える文学教材の可能性―
発表者 教育学研究科修士課程二年 菊地 寧々
2017年現在、「性の多様性」の教育について、講演会や研究会、授業実践など様々な活動がなされる中、現場からは「何を教えていいのかわからない」「資料や指導例が極端に少ない」との声もあがっている。
そうした現状を受け、本研究は、知識や限定的な理解にとどまらず、子どもが自分自身で考えを深め“性”と“性”を見つめなおすことのできる教材ならびに授業開発を目的としている。今回は鷺沢萠の中編小説『ウェルカム・ホーム!』の読解を通して、性役割と生き方、「家族」の意味や価値について考え、他者との対話によって“性”と“生”への価値観を深める授業の在り方を探っていく。
20人に1人―教室に必ずひとりはいるとされるLGBTの子どもたちを含む、すべての子どもたちのため、我々教育者はなにができるであろうか。非/当事者を問わない、“性”と“生”を考える文学教材の可能性について考えたい。
6.19世紀日本の蘇東坡ブーム
発表者 教育学研究科修士課程二年 柴田 寿真
北宋の蘇軾は詩文や芸術に秀でた士大夫として生前から中国の人々に親しまれた。日本でも「東坡先生」とまるで日本人であるかのように親愛をこめて呼ばれている珍しい人である。近世近代の日本の文人は、蘇軾を慕い、詩人と関係のある日に催しを開いた。
本発表は「蘇軾ブーム」ともいうべきこの現象について述べるとともに、その場で生まれた漢詩文の教材としての可能性について検討したい。
思うに、現行の漢文教材は、ほぼ全てが今から千年二千年昔に中国で作られたもので、時間的にも空間的にも学習者とかけ離れており、リアリティーがうすい。この現実感のなさこそ、学習者が漢文を敬遠してしまう要因の一つではないだろうか。本発表で検討するものは、すべて近世以降の日本人の漢詩文である。東京近辺に住む人ならば、本発表で紹介する作品が誕生した場に立つことも容易であり、現行の中国古典教材よりもはるかにに漢文を身近に感じることができると考える。
7.朱子の教育研究 ―「講」と実践の考察―
発表者 教育学研究科修士課程二年 戸丸 凌太
南宋の思想家である朱子は「理学」の祖と呼ばれているが、彼の教育者の一面も思想史上重要な位置にある。彼は「読書」に基づく修養を重視し、読書の内容を弟子たちと共に議論する「講」がなすことで修養をすることが可能になった。当時、「講」は学問方法として主に民間の教育に普及しつつあった。そこで本発表では、「講」に着目して朱子が弟子たちにどのように接していたのかを考察していく。さらに、朱子が自身の理想とする教育を実現する場所とした「書院」における教育の実践についても考察していく。彼が自らの理想に基づいて実際にどのような教育の実践を行ったのかを明らかにすることで、朱子の教育の輪郭を明確にすることが出来る。考察に際しては、朱子と弟子たちとのやりとりを当時の話し言葉(古白話)で記録した『朱子語類』を基にすることで、よりリアリティーのある朱子の教育の一面を明らかにすることが可能となる。
8.雑談の談話における発話の特徴―雑談能力に対する自意識との関わり―
発表者 教育学研究科修士課程二年 佐藤 優大
会話には特定の目的を持った「交渉会話」と、特定の目的なく話す「交流会話」があるとされ、日常の雑談は交流会話の性格が強いとされる。雑談はその性質故に、その優劣や成否を客観的に捉えることは難しいと考えられる。しかし近年、雑談に対する能力意識が醸成されつつあるようである。それは「雑談力」という語が書籍に散見されるようになっていることからも窺える。本研究は、この現象に着目し、この雑談能力意識を形成する言語的特徴を談話分析の手法を用いて明らかにしようとするものである。
発表では、雑談の談話における発話の特徴を雑談能力に対する自意識との関わりから考察する。発話の特徴は「話者がある発話を行う際に、その発話が聴者に対して果たす対人的機能を概念化したもの」とされる発話機能の観点から分析する。雑談が「得意である」人と「苦手である」人との間にみられた発話機能の使用傾向の差異について報告し、その原因を考察する。
9.国語単元学習における鑑識眼評価の意義と可能性−学習に還流する評価の実現をめざして−
発表者 教育学研究科博士後期課程二年 勝見 健史
本研究は、学習者の主体的な言語運用力の育成をめざす国語単元学習の評価論に着目し、学習に還流する評価として機能するための鑑識眼評価の重要性について提起するものである。
国語単元学習が経験主義教育を背景に隆盛・衰退した戦後初期、および、国語科授業の硬直化を背景に再び脚光を浴びた1992年頃の「新単元学習期」の通時的考察によって、共通点としての「課題の反復」の存在が焦点化され、学習者中心の国語単元学習の評価論の脆弱性が露呈している。現在の学校教育現場において主体的な言語活動を重視した授業を創造する上でも、学習論と評価論を連動・還流させることは極めて重要である。
本研究では、学習者の文脈・状況を見極め対話的・相談的に関与する教師の役割・位置を重視して、到達基準による外からの評価から脱却し、学習プロセスの「質」の改善に関与する鑑識眼評価の重要性について言及する。
10.中学校国語科教科書における『万葉集』―掲載の問題点―
発表者 教育学研究科修士課程二年 栗原 絵理佳
『万葉集』は我が国最古の歌集であり、中学校・高等学校の教科書に必ず掲載されている定番教材である。『万葉集』には約4500首の和歌が収められているが、教科書に掲載されている歌はほんの一部である。では教科書には『万葉集』からどのような歌が掲載されてきたのだろうか。その変遷を調査し、『万葉集』の教科書掲載における問題点を明らかにすることが、本発表の目的である。
具体的な調査方法として、昭和60年代から平成20年代の中学校国語教科書において、掲載されている歌、学習目標、学習の手引き等を調査し、考察を加えた。
その結果『万葉集』から教科書に掲載されている和歌にはほとんど変化がないことが分かった。また、短歌を中心に掲載されている、反歌のみを掲載している場合があるなど、掲載の方法にも問題があることが明らかとなった。こうした教科書の在り方は、学習者の『万葉集』の正しい理解を妨げる恐れがあるのではないだろうか。
◆2016年度 学生会員研究発表会(第10回)
【発表要旨】
1.光源氏を見る女君
発表者 教育学研究科修士課程二年 中村 結里香
『源氏物語』において、主人公たる男君、光源氏は「見る」側として物語内に存在してきた。しかし、さまざまな女君を見、視線を向けた光源氏に対して、例外的に視線を向けた女君も存在する。その例外的な女君として、藤壺はどのようなまなざしを光源氏に向けるのか。そのことの意義について考えたい。また、女君にまざまざと見つめられつつも、物語の主人公である光源氏は、例外的な女君に対してどのように視線を向けようとするのか。両者の「見る」「見られる」関係について整理し、女君の装束への言及のなされ方にも注目しつつ論じていきたい。なお、藤壺と同様に光源氏を「見る」側に立つ六条御息所や朝顔姫君などについても、光源氏との「見る」「見られる」関係を論じる予定である。
2.『更級日記』の和歌意識
発表者 教育学研究科修士課程二年 針岡 萌
孝標女と雫に濁る人が、山の井とその翌朝に交わした贈答歌を中心に、更級日記の和歌意識について考察する。これまで、山の井の贈答歌に引かれているのは貫之歌であると考えられてきた。しかし、両者が用いている歌ことばの相違は明らかである。この贈答歌が『古今和歌六帖』収録の伝人丸歌を参考歌としている可能性を示しながら、改めて孝標女の返歌の機微を探っていく。
また、山の井の翌朝には再びふたりの間で再び贈歌が送られているが、それに対する返歌は載せられていない。『更級日記』にはこのように、贈歌のみを示して相手からの返歌を載せない「片割れの贈答歌」が十三首ある。物語・日記文学において贈答歌は、贈歌と返歌を揃えて載せるのが一般的であり、この「片割れの贈答歌」の提示方法は特異といえる。『更級日記』に載せられた和歌と載せられなかった和歌の選別について考えていく。
3.「夢應の鯉魚」考―登仙する画僧―
発表者 教育学研究科修士課程一年 白鳥 敬秀
「夢應の鯉魚」は上田秋成作『雨月物語』の中で他編に見られるような凄惨な怪異譚としての迫力は持たず、怪異とその遭遇者という、明確な対比構造も示されない異色作である。しかし、その両者の立場を作中で演じ、他編とは異なる主題の追求を託されたのが三井寺の画僧、興義であろう。本作はその研究において絵画や芸術に対する批評性・メタ物語性が本質的な課題として指摘されており、本発表においては興義に託された主題を、主として「夢語」という特徴的な語りの構造に着目し、夢や描画に関する様々な言説を取り入れながら、鯉魚の絵に象徴された美や芸術追求であることを浮き彫りにしていく。そして人間と鯉魚の往還、および興義の死後のエピソードに、画僧興義の芸術家としての完成を読み解き、そこに示唆される芸術観を提示することを目的とする。
4.ちぐはぐな代助―夏目漱石『それから』論―
発表者 教育学研究科修士課程二年 神田 知怜
『それから』の語りは代助に寄り添っており、その語りを通して、たとえばナルシシストといった統一的な代助像がイメージされてきた。しかし、『それから』の語りを細やかに見ていくと、人物のあいだを、物語内の時間のあいだを自由に移動する語りを見出せる。なかでも、代助の習慣や反復している行為・思考を表す語りと、「……な男である(ではない)」という語りは、代助の人物像を語り出すものである。これらの語りには、ソリッドな人格を持つ人物としての代助像を作り出すような性質がある。しかし一方で、様々な反復や性質を語るために、代助像はちぐはぐなものになっている。本発表では、『それから』の語りの分析にもとづき、確固たる代助像を語り出そうとする語りとその語りによって逆説的にゆらいでしまう代助像を考察する。
5.語り出される〈東京〉―太宰治『晩年』論
発表者 教育学研究科修士課程二年 杉江 泰樹
上京の6年後に刊行された太宰最初の著作集『晩年』は、これまで所収作品の方法やモチーフという視点で研究されてきた。今回はあえてそこに〈東京〉という枠組みを設定し、個々の作品を読みかえることで、『晩年』において〈東京〉という街がいかなる意味を持ち得るかを明らかにし、新たな読みの可能性を提示したい。
6.上代から中世における「ウチ+動詞」の意味拡張について
発表者 教育学研究科修士課程二年 本多 希衣
一般に、現代語における「うち解ける」「うち切る」などの「ウチ+動詞」の形は、動詞「打つ」が接頭辞化したものだと言われる。「ウチ+動詞」の形でも「打ち合う」「打ち付ける」のように動詞「打つ」の意味が残っているもの(複合動詞)も存在するが、多くはその意味が失われている。
古代語において「ウチ」には後項動詞に対し「強意/弱意」「瞬間性」などを添える働きがあると言われてきた。本発表では、「ウチ+動詞」には動詞「打つ」の他、名詞「内」に由来するものがあるという立場から「ウチ+動詞」の働きを明らかにしていく。
発表では
@動詞「打つ」由来と名詞「内」由来の「ウチ+動詞」にどのような違いがあるのか
A「ウチ」にはどのような意味・働きがあるとすることが出来るのか
B時代が下るにつれて、またそれらがどのように変化していくのか
C作品ごとによって、「ウチ+動詞」の使われ方に違いはあるのか
という4点について考察を行う。
7.高等学校国語科教科書における三島由紀夫の教材史
発表者 教育学研究科修士課程一年 松谷 拓哉
本研究は、高等学校国語科の教科書に採録された三島由紀夫の作品に関する教材史研究です。本発表では、現行教科書を含めた今までの採録状況と、その特徴について扱います。三島由紀夫の作品が初めて教科書に採録されたのは、1958年に発行された『国語 二 高等学校用総合』(筑摩書房)と『高等学校現代国語 一』(尚学図書)における『潮騒』でした。それ以来、現行のものに至るまで13種の作品が50以上の教科書に採録されてきましたが、その扱われ方は一様ではありませんでした。そこで考察の中心とするのは、三島の自死前後における教師用指導書の変化の分析と、そこから明らかになる、三島作品に教科書会社が見ている、教材としての価値の変遷についてです。
8.日中小学校作文指導法に関する比較研究―「時系列」と「因果律」を中心に―
発表者 教育学研究科博士後期課程一年 王 培
本研究では、作文を指導する際に問題になる「順序」に関する日本と中国の比較を通して、それぞれの国の作文指導の特徴を明らかにし、特に日本の作文指導の効果的なあり方を明らかにするところに主眼を置く。
研究の方法は、まず日中小学校国語学習指導要領の「書くこと」に関する指導事項の考察を試みる。続けて、日本の国語科教科書の代表として光村図書が出版する小学校『国語』と、中国の国語科教科書の代表として人民教育出版社が出版する小学校『語文』を取り上げ、「書くこと」に関する内容に関して、両者の比較を通して具体的な教材内容と指導方法を考察する。
その結果、日本では「時系列」が指導の中心となっているのに対して、中国では「因果律」が指導の中心になっていることが明らかになった。中国の指導法は欧米のものに類似している点が多いが、両者の指導法を関連させることを通して、新たな作文指導の可能性が拓かれると考えた。
9.中島敦と中国古典―漢文学習へのいざない
発表者 教育学研究科修士課程二年 山中 明
中島敦の『山月記』やその他の中国関連小説を用いた授業計画案を発表する。『山月記』の場合、李徴の性情をめぐる解釈についてさまざまな見方がなされる文学作品でありながら、多くの高等学校の授業では李徴の人格破綻を学習者に誘導するような状況も認められる。そのような一面的な指導から脱却するために、発表者の勤務校では、典拠の『人虎伝』との比較を通した読みによる授業を企図した。また、翻案小説としての『山月記』を通して古典漢文への興味関心を喚起する授業の可能性についても論じたい。発展編として中国古典に取材した中島敦の小説を紹介することで、古典の教科書教材へと興味関心を拡大させていく方略を授業の中に織り込んでもみたい。古典のみならず他教科へと興味関心が拡充していくことの可能性についても考察する。
◆2015年度 学生会員研究発表会(第9回)
【発表要旨】
1.『播磨国風土記』地名起源説話考
発表者 教育学研究科博士後期課程一年 奥田 惇
『播磨国風土記』託賀郡賀眉里条にみえる荒田村の地名起源説話では、前半の道主日女命と天目一命に関する説話と、後半の荒田の地名起源とが、一見すると文脈上の明確なつながりを持たずに語られているように見受けられ、前後無関係の別伝承であるとも説かれてきた。本来地名を説明すべきはずの説話と地名起源との間に隔たりがあるとするなら、地名起源の報告を重要な任務の一つとする「風土記」としては大きな欠陥があることになる。
今回発表者は当該条の問題に対して、同じく「一つ目」とされる存在体が登場する『出雲国風土記』大原郡阿用郷条との共通点に注目し、そこに農耕と鍛冶技術の対立という社会的背景を読み取ることで、筋の通った一連の地名起源説話として解釈できることを指摘する。その上で、このような一見不明瞭な地名起源説話に、在地の伝承と解文としての「風土記」の記載との間に、様々な価値観が重層して見られることを明らかにしたい。
2.『源氏物語』の筆跡―手紙を中心に「書く」ということ―
発表者 教育学研究科修士課程二年 中村 めい
従来、『源氏物語』における手紙の研究は料紙や文付け枝、文使い、和歌の有無などといった様々な側面から行われてきた。
その中でも今回は「筆跡」という側面から考察を図りたい。筆跡がパーソナリティを示すものだということは夙に知られるところであろう。しかし筆跡に関する物語中の記述に関しては、書家という立場からまとめられたものがあるが、筆跡の重要性を説くものや、人物のパーソナリティを指摘するものが中心となっており、読みの領域までは立ち入っていない。そこで、「筆跡のパーソナリティ・重要性」から一歩踏み込み、人物の筆跡や「書く」行為に関する記述がどう物語に関わり作用するのかということに主眼を当てていきたい。
3.歌人伊勢の歌の後代の受容とその傾向
発表者 教育学研究科博士後期課程一年 幾浦 裕之
『古今集』の撰者時代を代表する女房歌人伊勢の歌には「漢詩の和歌化(保坂都)」「同語反復(曽根誠一)」「春の歌に秀歌が多い(山下道代)」などの特徴が先行研究で指摘されている。鎌倉期には『無名草子』に歌人として「あらまほしきためし」と羨望され、『八雲御抄』は夢に現れた小町が、伊勢の歌を左に私の歌を右にばかり配したのは「ふかきうれへ也」と訴えたという。これらの言説の背景に伊勢を嚆矢とする表現の後代の受容があるが、平安後期の用例まで含めて摂取の仕方の傾向を論じた研究はない。例えば「袖に見まがう花薄(尾花)が招く」という表現は贈答歌や哀傷歌のなかで女房歌人にも盛んに摂取された。一方「花の鏡」は題詠において、吉野川など各地の歌枕や月と結びつけられたが女性の用例が見られない。本発表では近年歌人としての側面が注目されている建礼門院右京大夫の歌との類似点を含め、鎌倉前期までの伊勢の歌の受容について考察する。
4.「丈艸出来たり」の理由について―難波での夜伽の場面を取り上げて―
発表者 教育学研究科修士課程一年 七井 亜聡
芭蕉が難波で病床に臥し、門人たちが看病のために訪れた際に「今日(より)我が死後の句也。一字の相談を加ふべからず」と、〈夜伽〉をテーマにした句作を命じた。これに対し十数人の門人が句を詠じたが、芭蕉はただ一言「丈艸出来たり」と述べたのみだった。丈艸の句は「うづくまる薬罐の下の寒さ哉」というもので、この句に関して門人の去来は「かゝる時はかゝる情こそうごかめ。興を催し景をさぐるいとまあらじ。」と、景情一致が出来た句だという理解を示した。しかし、俳諧に全人生をかけた芭蕉が、自らの命の尽きる直前に真心が先に動いて出来た句を良しとするだろうか。発表者は、この句作とは、芭蕉が門人たちに今後の俳壇を任せられるかを確かめるためのものであると考える。したがって、去来の理解は不十分であるという立場から芭蕉はなぜ「丈艸出来たり」と述べたのかを発表する。
5.〈家〉への憧憬と抵抗――谷崎潤一郎『細雪』論――
発表者 教育学研究科修士課程二年 神田 茜
『細雪』は、四姉妹の日常と彼女たちの絆を描く物語である。その絆は、彼女たちの意識の根底に共通の〈家〉が根ざすことによって生まれている。そうした四姉妹の共通認識としての〈家〉は、豪奢な生活を好む父の庇護下であると同時に母の〈不在〉によって成立していた。
しかし、父の死後家督が義兄辰雄の手に渡ると、長女鶴子は〈家〉を担う立場となる。一方次女幸子は姉妹の絆に執着し、〈家〉への抵抗を示していくのである。幸子の抵抗もむなしく、結末では姉妹それぞれの〈家〉への収束が描かれる。しかし、幸子が見せた細やかな抵抗は、『細雪』以降の〈家〉の崩壊を示唆するものになるだろう。
これまで、長女鶴子だけでなく次女幸子に関しても、「封建的な家本位の感情を出ない」と評されてきた。本発表では、そこに姉妹の絆という同性愛的な観点を導入することで、新たな読みの可能性を示すことを目的とする。
6.今問われる「所有」の在り方―安部公房『赤い繭』を授業で扱う場合―
発表者 教育学研究科修士課程三年 佐藤 清納
安部公房の文学作品を高等学校の国語科で扱う場合、多く課題として挙がるのが、「解釈が複数に渡り収拾がつかなくなる」ということである。またいずれの指導書にも、学習のねらいとして「作品の解釈をもとに学習者たちに現代の社会や自らの生き方の問題を考えさせること」としているものの、方法が具体的に示されているわけではない。
そこで本稿では、『赤い繭』という教科書掲載頻出の作品を通して、学習者自身や学習者が生きる現代の問題について、具体的に自分の考えを深めたり広げたりできるような教材としての再提案を行いたい。
具体的には、「所有」をテーマに設定し、鷲田清一氏の評論文『いのちは誰のものか?』とともに単元化を図る。自分の「身体」は誰のものなのか、「所有」するとはいかなることなのかを双方の文章を通して考えることで、『赤い繭』が、現代の「所有」に関する諸問題に新たな見方を与えていることを明らかにする。
7.「梶井基次郎」作品の受容について―『檸檬』刊行形態と評価の変遷―
発表者 教育学研究科修士課程一年 西尾 泰貴
本発表は修士論文の目的としている「『梶井基次郎』の作品受容とその変遷、原因を明らかにする」に沿った発表である。
現在、修士論文にて主に扱おうと考えている点は以下の通りである。
@梶井基次郎の受容増加に関して
A梶井基次郎と国語教科書に関して
B『檸檬』の突出した受容に関して
本発表では「@梶井基次郎の受容増加に関して」を扱う。梶井基次郎は死後に評価が高まった作家として知られている。梶井基次郎は生前、主に作品を発表する場が同人雑誌であった。そのため、生前の梶井基次郎作品の受容は限られた範囲内でのみ行われていた。
そのような限定された受容にも関わらず、一九五五年には東京書籍の『国語高等学校一年上』に採択され、その後も現在に至るまで様々な教科書において作品の採択が続いてる。
本発表では梶井基次郎の死後、どのように作品が受容され、教科書に採択されるようになったのかを明らかにしていく。
8.唐代伝奇小説《枕中記》の鑑賞指導―「翻案」を用いて―
発表者 教育学研究科博士後期課程二年 樋口 敦士
今回は中国文学の芸術性を高めた唐代伝奇小説を取りあげ、漢文教材における効果的な指導法について考察する。上記ジャンルの中でも『枕中記』が、我が国の文学作品に多大な影響を与えたことは今さら改めて語るまでもない。この作品は盧生と呂翁の人生観の違いがテーマにされ、「夢」世界での盧生の後半生が浮沈とともに描かれている点に特色がある。さらに、『荘子』の影響を色濃く受けていることから、思想教材との結びつきの強い作品であるとも言える。こうした「夢落ち」プロットは現代の高校生にもなじみやすい面もあることだろう。また、「小説」本来の原義に立ち返りながら、「翻案」の語に着目することで、当該作品から表現教材としての価値を見出すこともできる。本発表では、『枕中記』を教材に取り、影響作品を踏まえた上で、結末部における「翻案」作業を通して生徒たちの表現及び鑑賞といった一連の取り組みについて報告するものである。
9.働きかけ発話における授受表現の働き―「〜てくれる」系表現と「〜てもらう」系表現の使用状況を比較して―
発表者 教育学研究科修士課程二年 福島 彩加
現代語においては、聞き手に対してある行為の遂行を求める「働きかけ」の機能を持ちうる形式が多様に存在する。中でも授受表現は聞き手の行為によって生じる恩恵を取り上げることができる表現であり、聞き手の行為を求める働きかけ発話との親和性が高いことが考えられる。そのことに関わる特徴として、働きかけ発話の中でも特に多様な形式をもち、様々な人間関係において用いられているということを示すデータがある。本発表では、働きかけ発話において授受表現のもたらす効果を明らかにしたいと考えている。そこで、働きかけ発話全体における授受表現の位置づけを確認したうえで、全体を「〜てくれる」系表現と「〜てもらう」系表現に分け、その使い分けと待遇とのかかわりを考察していく。
10.映像の言語化を目指す「見ること」の授業構想 ―活弁台本の創作を通して―
発表者 教育学研究科修士課程二年 後藤 美咲
本研究は、国語科における映像、とりわけ映画活用の方略を探ろうとするものである。パソコンやスマートフォンなどの普及も影響し、学習者にとってあらゆる映像がより身近なものになった一方で、それらの受容方法に関する教育が比例して充実しつつあるとは言い難い。様々なメディアから必要な情報を得、活用していく能力が求められている中で、映像の扱いを改めて見直す必要があろう。映画には、台詞のほか、カメラワークや色彩など多くの非言語要素が含まれる。日本独自の文化である活動弁士の役割を映画の「読み」に取り入れることで、映像内の非言語要素を、物語を構成する一要素として見つめ直してもらうきっかけを作りたい。本発表では、石田裕康監督「rain town」など無声(サイレント)映画を用いた活弁台本の創作を通して、物語の読みを深め、映画を単に「見る」ものに留めない授業の提案を試みる。
◆2014年度 学生会員研究発表会(第8回)
【発表要旨】
1,『紫式部日記』の戦略性 ―自己防衛としての日記―
発表者 教育学研究科修士課程二年 淺野 美帆
『紫式部日記』は主家の記録の役割を持つ一方で、同時代的な読者として同僚女房たちに読まれる(読ませる)ことを意識した作品であると考える。非常に身近な人々が読者であったことは、『日記』の反応や効果はそのまま作者自身に返ってきたということである。例えば憂愁の記述も純粋な作者の内面の吐露ではなく、それを読む読者の存在が常に意識されていたはずである。平安時代の仮名日記が全く「私」のものであり、個人の内面を滔々と語ったものであるとは考えにくく、読者との関係の中で『日記』を考えていく必要があるだろう。
『日記』の読者として想定される同僚女房の存在を考えるとき、『日記』の記述は作者を女房集団から乖離した特別な存在として位置付け、さらに読者から受け得る攻撃を封殺する機能をもつものになる。本発表では読者の存在を介して『日記』の記述を考察することで、様々な方法で作者が自己防衛を試みたことを明らかにしていきたい。
2,『物語二百番歌合』の中の『狭衣物語』 ―物語歌へのまなざしと再構成意識―
発表者 教育学研究科修士課程二年 伊藤かおり
『物語二百番歌合』は藤原定家の手になる、物語歌のみで構成された歌合形式の秀歌撰である。本発表でとりあげるのはそのなかでも『百番歌合(源氏狭衣歌合)』とし、左方に『源氏物語』、右方に『狭衣物語』の歌を配する部分である。この作品において、定家は物語歌をいかなるかたちで再構築していったのか、右方の『狭衣物語』歌を主として扱っていくこととする。定家自身が高く評価したという『狭衣物語』の歌は当該作品内においてどのように配されているのか、どのような効果を示しているのかについて、右方を軸に考察していく。単なる秀歌撰として歌が選ばれただけでなく、定家によって物語のどのような要素が抜き出され、この作品にまとめられたのか。歌合形式の当該作品において『狭衣物語』はいかなる形で再構成されたのか。番の流れやつながり、また判詞を追い、そこから見えてくる再構成された物語について述べることとする。
3,山本荷兮論 ―蕉風離反以降を中心に―
発表者 教育学研究科修士課程二年 上野 知明
山本荷兮は尾張蕉門の中心的人物として活躍し、彼が編んだと推測される『冬の日』『春の日』は蕉風の確立に大きく貢献した。こうして初期の蕉風俳諧において大きな役割を担った荷兮であったが、『曠野後集』の頃より芭蕉離反の傾向をあらわし、それは『ひるねの種』『橋守』『青葛葉』といったその後の選集にも継続された。
『曠野後集』では、序文に幽齋、守武、宗鑑、忠知、宗因らの句をかかげて「をのづから景と情とそなはりて、又外に優を得たり」と賛美しており、古人思慕の態度が窺える。さらには「たゞいにしへをこそこひしたはるれ」との記述もあり、並々ならぬ復古趣味への没頭が見てとれる。こうした古風へのこだわりが、常に新しみを求めた芭蕉の態度に反したのではないかと推測できる。
本論では『曠野後集』以降の句を中心に取り上げ、その作風から荷兮が蕉門を離反するに至った理由を考察したい。
4,『今昔物語』における狐の妖婦譚についての日中比較研究
発表者 教育学研究科修士課程二年 馮 超鴻
『今昔物語』には、狐が容顔美麗な婦人に化けて人間の男と恋愛する話がある。同様の話は、『今昔物語』の成立年代より前に成立した中国の古典文献にも見いだせる。『今昔物語』の中の、いわゆる「狐の妖婦」のイメージは、こうした中国の狐の話の影響を受けたものなのだろうか。もしそうであるならば、どのような影響を受けたと考えられるのか。また、その中に見える独自性とは何なのか。
本発表では、中国の古典文献も例に挙げて、『今昔物語』に見る狐の妖婦のイメージ、及び物語の成立について比較研究を試みたい。
5,「青髭」から〈蜘蛛男〉へ ―昭和初期の江戸川乱歩とメディア―
発表者 教育学研究科修士課程二年 柿原 和宏
探偵小説で有名な江戸川乱歩は大正末期から戦後まで執筆活動を行っている作家だが、その歩みについてはこれまで類型的な理解しかなされてこなかった。先行研究の多くが作品の特徴に沿って作品史を二分化しており、これに従えば、『新青年』を中心とした探偵小説専門誌に多くの作品を投稿していた昭和三年(1928)までが本格探偵小説期となり、講談社を中心とした大衆娯楽雑誌に作品を掲載した昭和四年(1929)以降は通俗長編期となる。とりわけ通俗長編期の作品は乱歩自身による評価が低いこともあって論じられることが少なく、また「エログロ」という評価軸から抜け出すことが困難な状況にある。
本発表では乱歩の通俗長編期の嚆矢とされる『蜘蛛男』(『講談倶楽部』1929・8〜1930・6)を扱う。作中の犯罪者が「蜘蛛男」と呼ばれていく過程を検討することで、メディアの言説によって事象が記号化された、昭和という時代に対する乱歩の文学的態度を考察する。
6,量子のもつれ、物語のほつれ ―東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』論―
発表者 教育学研究科修士課程二年 加藤 夢三
本発表では、量子論という世界をとらえる技術的方法論に着目することで、『クォンタム・ファミリーズ』において必然性を表象していたかに見えた物語的な主題が、つねにすでに孕んでいた偶有性の原理を浮かび上がらせることを試みる。
量子論は、〈科学〉の思考法として意味作用の水準でとらえれば〈計算可能なもの〉の具象であるが、その性質においては不可避的なかたちで〈計算可能なもの〉の剰余を胚胎しており、それは物語を別の視角からとらえるための足がかりとして機能を果たす。言うなれば、言葉遊びめいた表現になってしまうが、量子論という〈プラットフォーム〉が、量子のもつれという性質とアナロジカルなかたちで『クォンタム・ファミリーズ』という物語をほつれさせたということができるのだ。
本発表は『クォンタム・ファミリーズ』の作品論であるが、この考察をもとに、多元世界と現代日本文学の連関のありようを探ってみたい。
7,「革命」のイコン ―『憂国』ロシア語訳からみえるもの―
発表者 教育学研究科修士課程二年 村上 智子
『憂国』の先行研究では、主人公武山中尉よりもその妻麗子が物語において大きな役割を果たしていると指摘される。しかし、『憂国』を麗子が自立性を獲得する物語として捉えなおすとき、麗子の抱く「大義」を中尉が身を捧げてきた皇軍のイデオロギーと切り離して分析することは困難であり、彼女が手に入れたい世界を主体的に選択するという自立性は強調されにくい。
そこで、「自立性を獲得する物語」を補強するためのツールとして、グルジア生まれの翻訳者グリゴーリイ・チハルチシヴィリの手になる『憂国』ロシア語訳の特徴的な翻訳を提示し、分析と考察を行う。そして、日本とは異なる文化圏でのテクスト受容のあり方を探ることで、日本においても『憂国』の新たな読みの可能性を生み出すことを目指したい。
8,『源平盛衰記』の教材化 ―他者論を起点として―
発表者 教育学研究科修士課程二年 根本 駿
「他者」に関する議論は1980年代から盛んに行われ、国語教育の分野にもその議論は及ぶこととなった。本発表では、この議論の成果を理論的背景としつつ、現実的アプローチによる高等学校の教材提案を行う。
教材として提案するのは、「平家物語」諸本のひとつとされている『源平盛衰記』である。『源平盛衰記』は「平家物語」諸本のうち読み本系に属し、数多くの物語を取り込むことで最も豊富な記事量を有している。一方、一般に教材として用いられる覚一本は語り本系に属し、記事量は少ない。教材として提案する箇所は、覚一本「那須与一」(および「弓流」)に該当する部分であるが、この箇所にも同様の傾向が見られる。この記述量の差、および「那須与一」が中学校の定番教材であるという点に着目し、高等学校で再び「那須与一」を読むことの意義について考察する。
9,学習者が活用できる文法学習 ―J-POP歌詞を教材として―
発表者 教育学研究科修士課程二年 西原 康平
学校文法の学習に関しては古くから「暗記中心」「知識詰込型」という問題点が挙げられている。また、学校文法の枠組み自体に対する批判も複数挙げられているが、枠組みの変更は教員・学習者の大きな混乱の原因となってしまう。そこで、問題点を教材から解決することを試みる。
現在用いられている教材の多くは教科書やワークのようなもので、1つの文を中心に文節切りや品詞分解を行っている。しかし、文章の中で用いられている言葉遣いは1つの文だけでは判断しきれないものは多く存在する。文節切りや品詞分解だけでなく、文法を学ぶことが「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域にどのように活用できるのかを学習者に伝えるためには1つの文ではなく文章全体を文法の教材として用いることが必要である。
文章の中でも特に「歌詞」を用いることによって話し言葉や音声の指導も含めた「日本語」を幅広く見渡せる教材の開発を試みたい。
10,「創造力」の育成を目的とした授業構想―受容を重視した「対話」指導の提案―
発表者 教育学研究科修士課程二年 長谷場 壤
創造力育成のためには他者との交流が有効である。なぜなら、他者は自分では思いつかないような発想を持つ存在だからである。したがって、他者の考えに触れそれを受容することは自分の考えを深めることに繋がり、それは自身の創造力を高めるための基盤となる。しかしこの場合においては他者の意見を鵜呑みにするだけでは不十分であり、その発想に至るまでの思考過程にも触れる必要がある。そのための手段として、今回は対話を用いることを試みた。対話は話し合いの一つの形態であるが、これは「聞くこと」に重点が置かれ、また積極的に聞く姿勢が求められるため、このような態度は他者の意見を受容することに繋がる。また、国語科の授業においては「読むこと」と「書くこと」の活動が中心となり、「話すこと・聞くこと」の活動があまり行われていないという声がよく聞かれる。これらのことから、今回は音声言語指導に重点を置いた授業提案を行いたい。
◆2013年度 学生会員研究発表会(第7回)
【発表要旨】
1,『古事記』天孫降臨神話の表現と構想
教育学研究科修士課程二年 折原佑実(おりはら ゆみ)
『古事記』上巻の天孫降臨神話を、対応する『日本書紀』第九段本文及び一書群と比較すると、天孫降臨を語る記紀諸伝は最終的な降臨神がホノニニギであること、降臨地が日向の高千穂であることなどの共通要素を持っていることがわかります。一方、『古事記』にみられる降臨指令神としてのアマテラスの存在、オシホミミからホノニニギへの降臨神の交替記事、三種の神器についての記事は、『日本書紀』諸伝のうち第一の一書、第二の一書にしか存在せず、天孫降臨諸伝のなかで特殊な要素であると考えられます。本発表では、上記アマテラスを指令神に含む三所伝に共通する性質をふまえ、『古事記』天孫降臨神話独自の表現やオシホミミの出生事情に着目しつつ、『古事記』天孫降臨神話の表現や構成が「古事記神話」の文脈においてどのように機能しているのかについて考えます。
2,『蜻蛉日記』における道綱母の〈中心〉への欲求とその表現方法
教育学研究科修士課程二年 小松三希子(こまつ みきこ)
修士論文では『蜻蛉日記』という作品の内側、そして外側から、道綱母の〈中心〉への欲求を読み取っていく。道綱母は、テクスト内において「はかない身の上の告白」という執筆ポジションを前景化させている。幸福な記事や政治的記事にも筆を割きながら、不自然なまでに「はかなさ」へと収斂させていく構造をとっているのである。しかし実際には、兼家の協力を得て作品を執筆している。つまり、テクスト内では〈中心〉から抑圧された自己を表現しつつ、テクストの外側では十分に〈中心〉に参入していると言えるのだ。本発表ではそのねじれに着目し、日記文学という独自のメディアや、王朝女流文学の系譜といった観点も検討し直しながら、本作品は道綱母が誰に向かって告白を試みた作品なのか、また当時どのような意味を持ち得た作品なのかについて考察し、『蜻蛉日記』の意味や文学史的位置に新しい見解を付与することを目指す。
3,『平家花揃』諸本の形態と享受について
教育学研究科修士課程二年 藤田加世子(ふじた かよこ)
『平家花揃』とは、『平家物語』の平家方の登場人物を草花や風景に喩え、和歌を付すなどして論評した作品である。現存諸本は、系図形式・草子形式(系図を持たないもの)・絵本形式の三つの形態に分けられ、「平家人物論」や「平家物語系図」等、書名の異同が激しいといった特徴がある。渥美かをる氏や松尾葦江氏によって人物の配列や本文異同についての詳細な考察がなされているが、形式そのものや書物の形態については具体的に検討されていない。
そこで本発表では、先行研究で触れられていない伝本を含む『平家花揃』現存諸本の原本を調査し、より詳細な書誌を提示すると同時に形態上の特徴について考察し、諸本の系統分類の再検討を試みる。併せて、諸本の伝来を探ることにより、現在ではお伽草子に分類される『平家花揃』の、『平家物語』注釈としての享受の様相についても考察する。
4,複数贈答歌について―慈円・良経・定家の贈答歌を中心に―
教育学研究科修士課程二年 栗田雅子(くりた まさこ)
新古今時代に入り、和歌活動は隆盛を見せる。すでに院政期に非題詠歌から題詠の時代に移行したものの、日常においては贈答の和歌も数多く交わされていた。中には、一首ずつ詠み交わすシンプルな形ではなく、複数の詠歌をまとめて相手に送り、受けた者が一首ずつに返歌を付けて送り返すという、特殊な形式で交わされる贈答歌もあった。このような形式の和歌を、本発表では「複数贈答歌」と呼ぶこととする。
本発表では、慈円の私家集である『拾玉集』に収録された、慈円・良経・定家が交わした十首ずつの贈答歌をとりあげる。複数贈答歌には、大きく二種類の傾向がある。一つは、和歌の修練を目的にしたものや、戯れ的要素が強いもの、もう一つには、哀傷歌としての要素が強いものである。本発表では、とくに前者を対象として、詳細な分析を行うことで、ここでの三者の歌が和歌史の中でどのような役割を持っていたのかを考察する。
5,森川許六の「取合せ論」について
教育学研究科修士課程一年 小澤恵結(おざわ めい)
「取合せ論」は、芭蕉門下の論客の一人、森川許六によって論じられた発句の構造論である。芭蕉の死後、俳論俳文の面で大きく活躍した許六は、元禄十一年執筆の「自得発明弁」において、はじめて「取合せ」についてとりあげ、「師ノ云ク、「発句は畢竟取合物とおもひ侍るべし。二ッ取合て、よくとりはやすを上手と云也」といへり。」と書き留めており、発句の理想形として「取合せ」の句を位置づけた。
これを受けて同門の向井去来と志太野坡が論難し、衝突が生じるのだが、今日までの主な研究諸説では、許六の主張に対し去来と野坡が反駁するという、論争の構図に関心が集まることが多く、蕉門俳諧における「取合せ」の文芸的意匠については言及の余地が残されているように思う。
本発表では、発句の具体的な分析から許六の「取合せ論」を再考し、俳諧における「取合せ」の技法を探っていきたい。
6,江戸後期から明治20年代までにおける尊敬表現形式「お(ご)〜だ」について
教育学研究科博士後期課程四年 山田里奈(やまだ りな)
本発表は、江戸後期に多用され、現代において「お(ご)〜です」へと引き継がれる尊敬表現形式「お(ご)〜だ」の用法を明らかにすることを目的としている。発表者はこれまでに、「お(ご)〜だ」の表す敬意について考察を行ってきた。しかし、表す敬意以外に、@連用形「お(ご)〜だっ」の出現と「お(ご)〜だ」の発達との関連、A「お(ご)〜だ」と「お(ご)〜だった」の使い分け、という未だ明らかにされていない点が残されていると思われる。そこで、本発表では、「お(ご)〜だ」の活用形の発達と用法の分化に焦点を当てて、江戸後期から明治20年代までにおける「お(ご)〜だ」の用法の変化について考察をすることによって、上記の@Aについて明らかにしていきたい。
7,大江匡衡「九月尽日侍北野廟各分一字」に見える菅原道真像
教育学研究科博士後期課程二年 呂天ブン(ろ てんぶん)
学問の家大江家に出自を持つ大江匡衡(952〜1012)は一条朝の文壇で活躍していた。彼は「不種一頃之田、積学稼為口中之食。不採一枝之桑、織文章為身上之衣」(「申越前尾張等守状」)と述べる通り、文筆の功によって朝廷に列している。大江匡衡の時代では、中国に渡って自ら中国の経典を入手することは容易にできなくなり、その時代の漢詩人はそれまでの文学成果を吸収して創作に臨むしかなかった。その中で、『白氏文集』は日本に伝わって以降、平安朝文壇に影響を与える一方で、醍醐天皇が「更有菅家勝白様、從茲抛却匣塵深。平生所愛白氏文集七十巻是也。今以菅家不亦開帙。」(「見右丞相献家集」)と詠じた詩句によって、菅原道真の漢詩文も『白氏文集』に劣れることなく好かれることもわかる。中国の漢詩文を土台にして詠作するのは平安時代漢文学の一般的な様式であるが、前後の世代の伝承関係も見逃すことができない。大江匡衡は菅原道真の漢詩文を「神筆」と見なし、実際にも菅原道真の影響を受けている。先行論では大江匡衡の白居易受容は盛んに論じられているが、それを踏まえて大江匡衡と菅原道真の関係について論述を広げようと考える。
8,ライトノベルにおける可塑性――東浩紀とカトリーヌ・マラブー――
教育学研究科修士課程二年 國部友弘(くにべ ともひろ)
ライトノベルとは、表紙や挿絵にイラストが使用されている若年層向けの小説である。近年ではこのライトノベルについての批評や研究も数多く見られるが、その中でも大きな影響力を持つものの一つが、ライトノベルというジャンルの特性を構造的に分析した東浩紀の『ゲーム的リアリズムの誕生』(講談社現代新書)である。本発表では、この東浩紀の議論の根底をなす概念図式と、フランスの哲学者カトリーヌ・マラブーが提示した「可塑性」という概念の理論的類似性を指摘した上で、このマラブーの概念を通じて東浩紀のライトノベル論の読み替えを試みる。それによって、東浩紀が明示的に主張しているものとは異なる、ライトノベルというジャンルの文学的な可能性を新たに提示することが、本発表の目的である。また、そうしたライトノベルの可能性を明らかにすることで、いかなるライトノベルの新たな読みが可能になるのかという点についても言及したい。
9,辺境から越境へ ―鷺沢萠の語り―
教育学研究科修士課程二年 康潤伊(かん ゆに)
鷺沢萠は四分の一しか朝鮮半島にルーツを持たないうえ、日本国籍保持者であり、出自を知ったのも二〇歳を超えてからである。それでも在日コリアンになることに向かっていった彼女の語りは、彼女に「日本人なのかコリアンなのか」をはじめとした、様々な選択を迫る周囲のまなざしを顕在化させるものとなっている。
本発表では鷺沢萠の作品を語りとしてとらえ、それらに「様々に付与されるものへの対抗戦略/からのずらし」――つまり鷺沢を辺境に追いやる言説を明らかにし、そこからの逸脱すなわち越境的行為や言説を見出していく。特に鷺沢の韓国留学体験記である『ケナリも花、サクラも花』と、私小説と鷺沢自身が呼んでいる小説『私の話』に着目し分析を行う。
10,小栗風葉と徳田秋声 ―『世間師』と『新世帯』―
教育学研究科修士課程二年 滝澤真帆(たきざわ まほ)
小栗風葉と徳田秋声は、ともに尾崎紅葉門下として筆を磨き硯友社四天王と称され、一時期大いにその名を広めた作家である。しかし風葉は明治四〇年前後に台頭した自然主義の風潮に乗り切れず、しだいに文壇の中心から遠のいた。その一方で秋声は、自然主義の作風をつかみ、評価を転じることに成功している。こうした対照的な道をたどった両者の明暗を分けた要因について、同年同月に発表された風葉の『世間師』(『中央公論』、一九〇八・一〇)と秋声の『新世帯』(『国民新聞』、一九〇八・一〇・一六―一九〇八・一二・六)に焦点をあてながら考察してゆく。風葉の『世間師』は、秀作とされつつも風葉自身の評価を覆すには至らなかったものであり、秋声の『新世帯』は自然主義作家としての秋声の地位を確立した作品であると言える。この二作品を通し、明治四〇年代当初の文壇の転換期とも言うべき時期に生じた問題点を浮かび上がらせたい。
11,大正期宮本武蔵―雑誌『講談倶楽部』内での書き手と読者の変化―
教育学研究科修士課程二年 大熊達也(おおくま たつや)
現代にて、最も有名な宮本武蔵を題材とした文学作品は昭和10年から14年まで、朝日新聞に連載された吉川英治著『宮本武蔵』である。吉川以前にも講談本として多くの宮本武蔵作品が存在しており、描かれ方も様々であった。宮本武蔵像の変遷を調査し、大衆認識が単一化される要因を明らかにすることが研究全体の目的である。
本発表で扱うのは、大正期に雑誌『講談倶楽部』に収録された宮本武蔵作品である。『講談倶楽部』は対象読者層が小学校卒業以降に設定されており、より多くの大衆に向けられ発行された雑誌である。同時に新講談と呼ばれる、新たな講談のジャンルが誕生したことも同誌の特徴である。明治期に主流であった速記講談から新講談に移り変わることによって起こる変化を考察することが本発表の目的である。
12,古典教育における音声言語指導の評価方法―中学生を対象とした『枕草子』・『平家物語』の実践を通して―
教育学研究科修士課程二年 杉澤真梨子(すぎさわ まりこ)
2008年・2009年版学習指導要領において「伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項」が新設され、小学校においても古典が指導されるようになった。従来、音読や朗読といった音声言語指導は、古典学習の導入として用いられてきたところであるが、古典を学ぶ時期が早まった影響を受け、今後ますますその傾向は強くなると推測される。
ところが音声言語指導においては、音声言語が時間的線条性、また一回的発言性を有することなどから、評価が困難だと捉えられることが多い。古典教育における音声言語指導の要請が高まる今、評価方法のさらなる具体化が求められている。
以上の問題意識のもと、本発表においては、古典教育における音声言語指導の評価方法に関して、具体的な方法を考察し、提案する。先行研究の分析に加えて、発表者の勤務校における『枕草子』・『平家物語』の実践から、帰納的に分析する。
◆2012年度 学生会員研究発表会(第6回)
【発表要旨】
『古事記』「穀物起源神話」におけるスサノヲ像
教育学研究科修士課程二年 鈴木琢麻氏
『古事記』はアマテラスから連綿と続く天皇の系譜を描き、天皇が国を治めることの正当性を証明するための書物である。
『古事記』のスサノヲは、三貴子として生まれながら、アマテラスが主宰する高天原に悪影響を与える存在として描かれる。そのため「正」と「悪」の神格で、二面性を持つ神であるなどと曖昧に考えられることがある。『古事記』の「穀物起源神話」ではオホゲツヒメを殺害するも、それが穀物を生み出す結果となり、スサノヲの高天原に対する「正」と「悪」の両方の役割があるように見え、問題とされている。
また、「穀物起源神話」はその前後との文脈が合わないことから、挿入された神話だと考えられることが多い。その理由と、「穀物起源神話」が『古事記』内でどのように有機的に機能しているかを考え、その中でスサノヲに与えられている役割と神格を探ることが重要である。
本発表ではスサノヲの神格を「穀物起源神話」を中心として考える。
『讃岐典侍日記』堀河天皇の崩御をめぐって
教育学研究科修士課程二年 青山紗祐美氏
『讃岐典侍日記』は院政初期に堀河、鳥羽の二帝にお仕えした典侍藤原長子の著した日記である。上巻は天皇の崩御に至る過程を克明に記した「看取りの記」、下巻は新帝にお仕えしつつも故院との在りし日を回想する「追慕の記」となっている。
本日記の上巻、堀河天皇発病の場面には、「天皇の病が篤しくなる前に、病平癒の祈祷をし、ご譲位の事も行うべきであったのに」という、讃岐典侍の執筆時の悔恨の思いが記されている。病が重篤となる前に平癒のための祈祷をすればよかったという後悔は天皇に近侍する者として当然の思いであるが、一典侍が天皇の譲位のことを思うというのは甚だ奇妙と言わざるを得ない。そこで本発表では、讃岐典侍が何故堀河天皇の生前の譲位を望んだのかということ、並びに、このように政に口を挟むような記事を書いた意図は何かという問題について、『栄花物語』などに表れている当時の宮廷女房の考え方を手がかりに考察する。
歌人源通具――始発期の詠歌について
教育学研究科修士課程二年 米田有里氏
源通具は新古今時代に活躍した歌人であり、『新古今和歌集』においては六人いる撰者の一人に任ぜられている。『新古今和歌集』の入集数は十七首で、撰者としては最も少ない数になる。承久三年に起こった承久の乱によって宮廷の歌壇活動が終わりを告げるのと同時に、彼の歌人としての経歴はほぼ完全に途絶えてしまった。そのためか、源通具の和歌活動については従来さほど研究対象とされなかった。
そこで今回、源通具の経歴の中でも、特に歌人として和歌を詠み始めた正治頃から、本格的に後鳥羽院歌壇への参入が認められる建仁元年二月に行われた所謂和歌試までの活動を中心に発表してみたい。源通具は、歌人としてどのような場を中心に活動し、和歌の腕を磨いていったのか。それらについて、少しでも明らかにできれば幸いである。
中等教育課程における説話文学教材の位置づけ
教育学研究科修士課程二年 八木澤瑠菜氏
本発表では、主に中世前期成立の説話集に集録された説話が戦前戦後を通して中等教育課程において果たしてきた役割を考察するとともに、今後、説話文学が果すべき役割について検討する。
考察は、戦前の中等教育課程教科書及び、戦後の高等学校教科書それぞれにおける説話文学作品の採択数の調査から得られたデータと、教科書編者の教育観や説話文学研究での評価、説話集成立当初から現在に至るまでの享受状況との関連から、ある説話作品が教科書に採択されるに至る経緯を分析することで行う。
調査の対象とした説話集は、平安時代末期成立の『今昔物語集』を含む、鎌倉時代以降成立の『宇治拾遺物語』『沙石集』『十訓抄』『古今著聞集』である。
また、平成21年3月告示、高等学校新学習指導要領の「伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項」に基づいて、今後、説話文学に期待される機能について検討していきたい。
『野傾友三味線』にみる団水の創作技法―巻二の一「高野六十那智八十」を中心に―
教育学研究科修士課程二年 近藤仁美氏
北条団水の好色物浮世草子『野傾友三味線』(宝永五年刊)が発想を得た作品としては、これまでに長谷川強氏によって、『友三味線』巻二の一の筋が「『男色大鑑』第五巻の五の北国物と玉村吉弥の話によるとおも」(『浮世草子の研究』)われることが指摘されている。しかし、これまでの団水研究においては、『友三味線』が粉本の記述を改変した理由については明らかにされてこなかった。
よって、本発表では、『友三味線』巻二の一が『男色大鑑』の記述をいかに用い、何を改変したかを示すこととする。この際、他の団水作における歌舞伎役者等の取り入れ方についても言及し、北条団水の創作技法を探る手掛かりとしていきたい。
このように、『野傾友三味線』が発想を得た作品・人物とその利用法について考察することは、先行研究において粉本の安易な剽窃が目立つとされる浮世草子作家・北条団水を再評価する足掛かりになるものと思われる。
水クサイの語史―水ッポイとの共存過程にみる意味の分担―
教育学研究科博士後期課程二年 池上尚氏
本発表では、嗅覚表現語彙史の究明の一段階として、接尾辞‐クサイの特殊な意味・用法である水クサイを調査し、中央語における意味変化の過程、水ッポイとの共存過程を考察し、以下のことを指摘する。
中世前期末に誕生した水クサイは、水分量に注目し〈酒という飲み物本来の味が薄い〉ことを表す語であったが、近世前期には意味の抽象化と対象の拡大が生じる。すなわち、〈本来の味が薄い〉の意味では水分量が必ずしも問題とならない食べ物が、〈本来であれば感じられるはずの情が薄い〉の意味では特定の人物の行為という抽象物が対象になるという拡大である。この濃度・情という二つの意味のうち、近世後期以降に中央語となる江戸語に伝播し受容されたのは後者のみで、前者は類義語である江戸俚言水ッポイとの競合の末に拒否され、上方語の域を出なかった。現代共通語において二語の共存が成立し得ている状況は、こうした意味分担が行われた結果と考える。
『古鏡記』における鏡と月のイメージについて
教育学研究科修士課程二年 仲川泰博氏
『太平広記』巻二三〇に「王度」の題で収められている『古鏡記』は、不思議な力を持つ鏡に関する短編をいくつか集めて一つの作品にしたものであり、六朝志怪から唐代伝奇への過渡期に作られた作品としての文学的意義が認められている。物語の中の鏡は、怪異の本性を暴く、怪異を退け調伏する、病を治す、自然の力を操る、などの属性を備える。鏡の呪術的な力は道教との関わりが強く見受けられるが、鏡は古くより月との関連がある。黄帝が鋳たとされる十五枚ある鏡の枚数は、満月の数にのっとったといい、鏡は月に反応してその光の強さを変える。また南北朝時代に作られた『玉台新詠』には「何當大刀頭、破鏡飛上天」の句があり、半月を鏡になぞらえている。本発表では中国における鏡の扱いや鏡に付された属性を通して『古鏡記』における鏡と月の関わりについて考察していきたい。
「明治期の小説作法に見る「小説」像」
教育学研究科修士課程一年 森田三咲氏
小説の書き方を説く小説作法は、単なる通俗的なハウツー本であると見なされ、これまでの文学研究においては軽視される傾向にあった。しかしそこからは、小説理論の研究書とは異なる「小説」像が見えてくる。この点に、小説作法を研究する意義があると言えるのではないか。また明治期は、「小説」という概念そのものに揺らぎのある時代であった。そのため、「小説」という言葉の内包している意味を明らかにするだけでは不十分と言える。「小説」という言葉で表される文芸作品が、当時の「美文」「叙事文」「叙情文」「写生文」といった文章の諸ジャンルの中でどのように位置づけられてきたか、という外延的な視点からの考察も必要となってくる。その上で、明治期の小説作法がどのような文章を「小説」とみなしていたのか、その「小説」概念と変遷を明らかにしたい。
梶井基次郎と北川冬彦 「闇の絵巻」に至るまで
教育学研究科修士課程二年 糸川歩氏
「闇の絵巻」は、『青空』の同人でもあった詩人・北川冬彦らが『詩と詩論』から独立して創刊した『詩・現実』の第二冊(武蔵野書院、一九三〇年九月)に掲載された短編である。梶井基次郎と北川は、『青空』が解散した後、頻繁に書簡をやりとりしており、北川が詩集「戦争」を出版した際に梶井が評を寄せている。『詩・現実』に掲載された「闇の絵巻」は一九三〇年八月の稿だが、一九二七年一二月に書かれた第一稿と一九二九年四月に書かれた第二稿のほか、のちの「蒼穹」「筧の話」につながる「闇への書」(昭和二年秋冬稿)、遺稿の「闇の書」(一九二七年一二月)と、一九二七年から一九二九年にかけての草稿が残っている。今回の発表では、これらの論を踏まえつつ草稿からの改稿過程を確認しながら「闇」を捉える梶井の感受性について考察していく。また「闇の絵巻」成立に影響を与えた北川冬彦との関連についても考えていきたい。
岸田國士におけるファルス――『女人渇仰』論
教育学研究科修士課程二年 服部司氏
新劇運動の騎手として活動し、近代演劇の礎を築いた岸田國士。戦前の断筆期間を経て、戯曲の執筆を再開した戦後を中心に、その戯曲の喜劇的性質に着目し、坂口安吾に代表されるファルス論を交えて考察していく。今回の発表では1949年に雑誌『文學界』に掲載された戯曲の『女人渇仰』を取り上げる。
夏?尊訳芥川龍之介『支那游記』について―中国における影響を中心に―
教育学研究科博士後期課程一年 顔淑蘭氏
大正作家が書いた中国旅行記の中に、最初に中国語に訳されたのは芥川龍之介の『支那游記』である。翻訳者の夏?尊は『支那游記』が日本で単行本として刊行されて半年も経たないうちに、すでにそれを訳出し、発表している。しかし、夏?尊が翻訳したのは『支那游記』の中のわずかな一部分だけである。今まで、『支那游記』についての先行研究は数多く見られるが、夏?尊の翻訳を通してその中国における影響を考察したものは管見の限り、まだ見当たらない。本発表では夏?尊の翻訳動機と結び付けながら、訳者が翻訳の際に行われた取捨選択を明らかにしたうえで、新資料をも取り入れながら、夏?尊の翻訳姿勢と『支那游記』の中国における反応について考察し、訳者の苦心と中国読者の反応の間に生じる「奇妙」な捩じれについて考えてみたい。
高等学校教科書における詩単元の系統性―「一つのメルヘン」「サーカス」を手掛かりに―
教育学研究科修士課程二年 永瀬恵子氏
国語教育において詩教材は、あらゆる観点から研究されることにより固有性が見出され、それらを生かした指導法も工夫されてきた。しかし一方で固有性を重視し過ぎてしまうあまり、特定のテクストを教えただけで完結する指導に陥ってはいなかっただろうか。
本発表では、近年の教科書にみられる詩教材の傾向や教師用指導書の記載事項を踏まえつつ、高等学校「国語総合」の範疇を想定した詩単元のあり方について考察を行う。考察の手掛かりとして、高等学校教科書の定番教材である中原中也の詩「一つのメルヘン」「サーカス」が、同単元内において他の詩教材と内容、指導事項ともにどのような関わり方をしながら教えられてきたのかを明らかにする。また、単元内における詩教材の系統性を明らかにすることによって、一篇の詩から得た学びが、他の詩で得た学びとどのように関わっていくことが望ましいのか、「詩」という単元が抱えている課題についても言及したい。
◆2011年度 学生会員研究発表会(第5回)
【発表要旨】
『古事記』における反乱伝承―木梨之軽太子を中心に―
教育学研究科修士課程二年 長澤祥子氏
『古事記』は天皇治世の由来と正当性を示すために編纂された書であり、それを第一義とする姿勢は各伝承においてみられる。まず上巻では天地創造や天孫降臨などが記され、天上の主宰神〈天照大御神〉の子孫としての天皇という基盤がここでつくられる。そして中巻では、天孫としての血脈や神異的な力を以て天皇が天下を統治する様子、下巻ではその天下の統治及び皇位が天皇の子孫へと正統に継承されていく様子が語られる。
以上のような『古事記』の編纂意図を踏まえた上で、本発表では王権への反乱伝承、その中でも特に下巻の、「日継ぎの皇子」でありながら反乱を起こした允恭天皇の御子〈木梨之軽太子〉の伝承に注目したい。反王権勢力の反乱とその征討を語る伝承自体はあっても不思議ではないが、次の天皇となるべく定められていた「日継ぎの皇子」の反乱伝承がわざわざ採録されたのはなぜか。下巻の主題である皇位継承問題として捉えたい。
『篁物語』の成立年代について
教育学研究科修士課程二年 柴田 郁氏
『篁物語』はその成立年代に関して、長く議論が続けられてきた作品である。『新古今集』以前の本文引用は見受けられず、冷泉家承空本の発見までは江戸時代の写本のみが知られていた。故に、第一部と第二部が同時成立か否かという問題に始まり、成立も平安初期から鎌倉初期までさまざまな説が乱立する状況であった。しかし近年、承空本の発見もあって、国語学上の立場から平安初期や平安後期の成立説が相次いでなされている。
作品の成立年代は、『篁物語』と他作品との関係など、作品研究を行う基盤であり、重要な問題である。そのため今回の発表では、『篁物語』の成立に関する問題を改めて論じる。その題材としては、今まで注目されることが少なかった和歌、その中でも「消え果てて身こそはるかになり果てめ夢の魂君にあひ添へ」の歌を中心に論を進めてゆく。
仏教説話における動物捨身譚の形成
教育学研究科修士課程二年 及川麗菜氏
仏教説話には、動物が他者の利益のために自らを犠牲にし(捨身)、その動物は釈尊もしくは釈尊の弟子の前世であると明かされる話型がある。その話型を動物捨身譚として、どのように形成されてきたのかを論じていく。
その源泉はインドで興った「ジャータカ」と呼ばれる説話群に見出すことができる。ジャータカは菩薩の前世譚とされてきたが、その菩薩ありきのジャータカ観に異を唱え、より一般的な内容を持つものであったとする説がある。元来は僧団内での事件にちなんだもので、比丘・比丘尼を教諭することを目的に機能したものであるというのである。
ジャータカはインドで語り継がれるうちに菩薩思想と結びつき、中国に伝来し翻訳され漢訳仏伝となり、さらに日本で訳され各説話集に収録されていった。その過程で説話内容は変化を遂げてきたが、そこにどのような仏教的意図や動物に対する民俗的意識が影響を及ぼしていったのかを明かしていきたい。
『宝蔵』における俳意識
教育学研究科修士課程一年 小山 樹氏
『宝蔵』は山岡元隣によって著され、寛文11(1671)年2月に刊行された大本五冊の俳文集である。著者元隣は伊勢に生まれ、上京した後は北村季吟を師として和歌・俳諧を学び、仮名草子、俳諧などの分野で活躍した。本書は元隣晩年の作である。堀切実氏によれば、『宝蔵』は「『徒然草』ふうの筆致で、故事を交えて飄逸な味があり、逆説的なおかしみにも富ん」(『俳文史研究序説』)だ、俳文集の嚆矢である。本書の序文では、「黄金」と「やうじ・耳かき」を対比して後者に重きを置き、それらを「此草子の始まれる所」であり「黄金」などとは「ことなる宝」と評している。ここには伝統的に価値付けられた「黄金」に対して日常卑近な品物をあえて提示し、そこに新たな価値を見出そうという意図が読み取れるのではないか。それがどのように表現され、本論のなかで展開、発展していくのか、今回の発表ではその点を中心に論じていきたい。
貨幣の翻案物語「十銭銀貨の来歴談」―坪内雄蔵『国語読本』―
教育学研究科修士課程二年 間嶋 剛氏
明治期の検定教科書時代、多くの出版社によって多様な教科書が出版された。1900(明治33)年には冨山房から坪内雄蔵(逍遙)編『国語読本』が出版される。その編纂要旨には、大きく「直接の目的」と「間接の目的」が設けられ、後者の目的は「読書の利益と興味とを覚えらしむる」ことであった。『国語読本』が「間接の目的」達成のために利用した手段の1つが翻案物語である。本発表では高等小学校用第8巻、第12・13課に掲載された翻案物語である「十銭銀貨の来歴談」を扱う。逍遙は『国語読本』出版の10年前にも読売新聞に「十銭銀貨の来歴談」と似た作品である、「一円紙幣の履歴ばなし」を掲載している。「一円紙幣の履歴ばなし」、また翻案の参考にされたと考えられるジョセフ・アディソン「Adventures of a Shilling」、唐来参和「再会親子銭独楽」から「十銭銀貨の来歴談」がいかに編纂されたかを考察する。
「私」を語る資格―――夏目漱石『彼岸過迄』論
教育学研究科修士課程二年 吉田詩織氏
夏目漱石の著作のうち、いわゆる後期三部作と呼ばれる作品にはすべて登場人物の一人称語りが含まれている。なかでも『彼岸過迄』は、一人称語りが成立するまでの経緯が書き込まれている点において特殊であり、当時流行しつつあった「私」を語るテクスト群に対して、漱石がどのような態度を取っていたかを考えるうえで重要な作品だろう。これまでの先行研究では須永の救済と作品内の統一したテーマの有無が重要な論題となってきたが、本論では、聞くことと語ることが繰り返される物語のなかで、主人公とされる須永がいかに「私」を語る資格を手に入れるのかについて論じる。これまで内向的な主人公として論じられてきた須永にとって、「私」を語ることがどのような意味を持つ行為であったのか、またその語りはテクストにおいてどう位置づけられているのかを論じていくことで、失敗作とされることも多いこの作品の新たな読み方を提示することを試みたい。
三島由紀夫のサド観をさぐる―式場隆三郎との関わりを中心に
教育学研究科博士後期課程三年 冉 小嬌氏
三島由紀夫は昭和四十年に、澁澤龍彦著「サド侯爵の生涯」に拠るという断り書きをつけて戯曲「サド侯爵夫人」を発表し、そのサド観はつねに澁澤との見取り図において捉えられてきた。しかし、澁澤がサドの翻訳を初めて刊行したのは昭和三十年であり、三島は『仮面の告白』(昭24・7)や『禁色』(第一部・昭26・1〜10)のなかですでにサドのイメージを思い描いている。澁澤も指摘するように、三島のサド観は澁澤のそれとはかなりの相違があり、昭和三十年つまり三十歳までに接したサド関係の書物に三島が触発された可能性は十分考えられる。本発表では、早くからサドに関心を持ち、『愛の異教徒―マルキ・ド・サドの生涯と芸術』(昭22・4)と『サド侯爵夫人』(昭22・1)という、サドとサド夫人の伝記まで執筆した式場隆三郎を中心に、三島由紀夫のサド観が形づくるまでの一端を探ってみたい。
江戸の浮世草子 ――石川流宣を中心として――
教育学研究科修士課程一年 大友雄輔氏
井原西鶴『好色一代男』に始まる浮世草子は、それに続く西鶴作品の強い影響下に北条団水、都の錦、西沢一風、江島其磧等の諸作品が展開した。これらは京・大坂で刊行された上方の文学であり、これまでの浮世草子研究においては、究明の主たる対象とされてきたのは、上方の浮世草子だと言っていい。
しかしながら、上方の浮世草子は「好色本」を含めて大量に江戸に下され、その影響を受けた江戸の浮世草子も少数ながら刊行された。作家としては立羽不角・石川流宣・磯貝捨若・天野桃隣(桃林堂)などの名があげられる。
本発表では、石川流宣の作品を主に取り上げ、出版法規等の外的要因や出版書肆、あるいは書誌的問題をも視野に入れて、江戸の浮世草子の特質について報告したい。
宮沢賢治「雨ニモマケズ」の授業実践―合唱曲を用いて―
教育学研究科修士課程二年 菊池春菜氏
本発表では中学1年生の「国語」において、学習者の興味・関心を喚起する手段として合唱曲を用いることの可能性を提案したい。教材として選定したのは、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」(注:教科書教材のタイトル)である。小・中学校の国語科の教科書に長きにわたって採録されている作品であるが、合唱曲を用いた授業実践は管見の及ぶ限り見当たらない。
この作品には鈴木憲夫氏と千原英喜氏によって曲が付されている。鈴木氏は、手帳に書きつけられているお経、すなわち略式十界曼荼羅と合わせて作曲しており、宗教的な世界観をも表現している。一方千原氏は、今を生きる我々へのエールという意味を込めて、明るく力強く、行進曲風に作曲している。これらの対照的な2曲を聞かせることで、学習者は自身の読みを対象化したり、まだ言葉にならない思いを、曲から受けた違和感を契機として言語化したりできると考えている。
日中古典文学における「牛」像
教育学研究科博士後期課程二年 趙 倩倩氏
最も早く家畜化された動物の一つとして、牛は人間と共に長い歴史を歩んできた。神への生け贄、人や物を運ぶ動力、人の食物など歴史の舞台で様々に重要な役割を演じ、果たした。無論文学の世界にも登場する。牛と言えば、「牛にひかれて善光寺参り」という言葉や天満宮の牛を思い出す日本人が多いと思う。牛と宗教や信仰との密接な関係が窺える。『日本書紀』から仏教説話集の『日本霊異記』、『今昔物語集』の説話文学にいたるまで日本の説話文学に出てきた牛は強い教訓的イメージを持つことが大きな特徴である。中国においては、古代神話集の『山海経』から、志怪小説集『捜神記』、宋の『太平広記』などには牛が金銭を齎したり、老人が牛に乗って昇仙したりする話が数多く存在し、その黙々とひたむきな牛が読者に神秘な感じを与え、霊性をそなえた存在になる。
本発表では、日中文学における「牛」像をテーマ分類・整理し、類似点や相違点を洗い出し日本と中国における感性の異同を考察したい。
江戸後期から明治20年代における「見る」の意味を表す尊敬表現
―「ご覧なさる」「ごろうじる」「お見なさる」を中心に―
教育学研究科博士後期課程二年 山田里奈氏
「見る」の意味を表す尊敬表現は、江戸後期では、「ごろうじる」「ご覧なさる」「お見なさる」が用いられ、明治20年頃になると主として「ご覧なさる」「ご覧になる」を用いるようになることが、先行研究で明らかにされてきた。しかし、その共時的な使用実態や通時的な変化の様相についての研究は不十分であると思われる。
そこで、本発表では、「見る」の意味を表す待遇表現の体系表を作成し、上下関係や階層、性差を観点として考察を行い、次の2点を指摘したい。@江戸後期の「ごろうじます」と「ごろうじる」の間には、第一段階(最高敬語)と第二段階(普通敬語)に分類しきれない程、表す敬意に差があり、第二段階では「ご覧なさる」を用いていること、A明治になると、室町時代頃から見られ始める、高い敬意を表す表現が漢語表現に偏る傾向はさらに強くなり、「お見なさる」の使用が減少し、「ご覧なさる」の使用が増加する様相を見ることができること。
◆2010年度 学生会員研究発表会(第4回)
【発表要旨】
『更級日記』孝標女の結婚と父子関係
教育学研究科修士課程二年 富澤祥子氏
『更級日記』作者の父・菅原孝標は道真嫡流でありながら生涯を通じて一介の受領であり、先行研究においては地味・凡庸とされた人物である。いまだ彼の没年を示す資料は発見されていないが、「日記」においても作者の結婚を機にその動向は書かれておらず、いわば父親の不在化となっている。
作者の結婚については「世の中むつかしうおぼゆるころ」、「さるべきやうありて、秋ごろ和泉に下る」といったことから夫・橘俊通とは不仲であったととらえられてきた。しかし御物本『更級日記』藤原定家勘物や祐子内親王への出仕に関する記事等を再考すると、新たな結婚生活のあり方が浮かび上がってくるといえる。むしろ、そこには夫に尽くせず家庭生活に専念できなかった妻という自己批判が読みとれる。
よって本論は、父子関係を見直すとともに自己批判がどのように醸成されたのかを論じることにより、作者の結婚と父親の不在化との関係性を明らかにするものである。
鬼貫の作風に見る「誠」
教育学研究科修士課程二年 村上真理子氏
伊丹風と呼ばれる独特の俳諧活動を展開した俳人である上島鬼貫(1661〜1788)は、自らの俳論書『独ごと』(享保三年)の中で、貞享二年の春に「まことの外に俳諧なし」と悟ったことを述べている。
従来の鬼貫研究は、その「誠」という言葉に代表される鬼貫の俳論を主な対象とするものであり、また、その作風についても、鬼貫の著した俳論をもとに論じられてきたに過ぎない。そこで、この「誠」の実体を明らかにすべく、鬼貫の句についての具体的な分析を試みたい。とはいえ、その鬼貫の独自性を考えるためには、同時代の俳諧作品、とりわけ元禄俳諧や蕉風俳諧などとの比較が必要であろう。本発表においては、それらの比較において鬼貫の句の特色を明らかにしつつ、その特色が彼の標榜する「誠」とどう関わるかを論じることで、新しい鬼貫の「誠」観を提示したいと考える。
『大東世語』における徳
教育学研究科博士後期課程一年 石本波留子氏
『大東世語』は寛延三年(一七五〇)、服部南郭六十八歳の年に刊行された。内容は南朝宋の劉義慶『世説新語』に倣っている。『大東世語』は幅の広い見方が出来得る作品であるが、先行研究は数えるほどである。そこで、私は『大東世語』を『世説新語』との比較研究にとどまらず、撰述方法に着目し、典拠と対照して総合的な研究を行なっている。本発表では『大東世語』における「徳」をめぐって考察したい。
『大東世語』では『世説新語』と同様、第一番目の篇目として「徳行」篇がおかれているが、その「徳」の意識は多様である。「徳」とは、辞書的には「道をさとった立派な行為、身についた品性」であるが、一般的に「孝行」のイメージが強い。しかし『大東世語』の徳行篇においては、孝行話は全十七話中二話のみである。したがって南郭の考える「徳」の概念はもっと広く奥行きがあるのではないか。今発表を通して『大東世語』にあらわされる「徳」の意識を析出する。
談話におけるガ格無助詞文に関する考察
教育学研究科博士後期課程四年 苅宿紀子氏
雑談のようなくだけた日常会話においては、名詞と述語が直接結びつく「無助詞」という現象がしばしばみられる。先行研究でもガ格の無助詞文に関して、「情報の新旧」、「文の類型」、「主題性と語順」などの様々な観点から論じられているものの、助詞の使用の可否には、種種の要因が関わっており、「無助詞」になる条件は未だ明らかになっていない。
本発表では、どのようなときにガ格の無助詞文が現れるのか、その法則を探ることを目的とする。分析にあたって、「無助詞」での表現は、「有助詞」での表現とは別の性格を有していると考え、「無助詞」を助詞の省略とはみなさない立場をとることとした。「有助詞」での表現との比較を行うため、名詞と述語の結びつきから格関係を認定し、ガ格助詞が担っている格関係を表すものは、無助詞・有助詞を問わず用例を採集した。両者の比較から、談話におけるガ格の無助詞文の出現傾向と性格について明らかにしたい。
初期「新潮合評会」と発話の記録―佐藤春夫と広津和郎を中心に―
教育学研究科博士後期課程五年 酒井浩介氏
日本において誌上座談会が定着したのは「新潮合評会」(一九二三・三〜)と「文藝春秋座談会」(一九二七・二〜)である。そこに作家達が果たした役割は大きいが、各作家自体の発言は参照されながらも、それ自体についての研究は少ないのが現状である。乱れ飛ぶ無責任な発話の数々を記録し活字化すること、当時においてそれは一つの事件だった。
本発表では、初期の「新潮合評会」に記録された〈声〉に対して作家達がどのように応対したかを拾い上げていくことで、近代文学が座談会というトラブルにどのようにして向き合わざるをえなかったのかを明らかにする。座談会とは言文一致に象徴される近代文学が抑圧してきたパロール復権の一形態であると同時に、パロールを装い取り込むことで行われる権力化の過程である。それは大正から昭和初期の批評状況の混乱と、そして小林秀雄に象徴されるような批評の「完成」と密接に関係しているのである。
メタフィクションを生成する語り――『彼岸過迄』論
教育学研究科修士課程二年 土屋慶文氏
ある作品を別の解釈でもって読み換えるタイプの作品論は、現在に至るまで数多く書かれてきた。しかし多くの作品論において、そこで指摘されるような読みの成立を助け受け入れる存在としての、読者への視点は大事にされてこなかったように思われる。それらは、「ある解釈を可能にする構造がテクストに備わっていれば、それはただちに読者に読み解かれ受け入れられる」とする隠れた前提のもとに成り立っている。言い換えれば、当の作品のリアリズム小説としての強度に全く疑いが持たれてこなかったということである。しかし、語り手の感想や考えが作中に頻出する作品においては、「作品の虚構性」が強まり、その小説を「本当に起きたことのように読むこと」は難しくなる。本発表では、虚構性を強調する語りが偏在しているにもかかわらず、そのことについて触れられてこなかった夏目漱石『彼岸過迄』について考察し、これをメタフィクションとして位置づける。
授業分析が拓く「読み」の可能性―交流型授業における形成過程を探る
教育学研究科博士後期課程四年 三輪彩子氏
国語科の授業研究において近年、人格形成の側面からのコミュニケーション力に関わる問題や授業に能動的に参加する学習者育成の問題が広く取り上げられている。このような問題に対して、学級内で行われるどのような交流が応えうるのかについて、明らかにすることが求められている。
本発表では、文学教材を用いた「読み」の授業に着目し、初等教育段階の学習者の「読み」の交流を中心とした文学の授業の可能性について考察を加える。具体的な授業実践を検討するにあたり、まず1950年代からこれまでにどのような授業分析の方法が試行されてきたのかを概観した。そこで得られた知見から、「読み」の広がりと深まりの芽生えに焦点化し、現在行われている授業実践を分析することにした。広がりと深まりを重層性と捉えつつ、談話にみられる学習者の「読み」の視点を観察することで、重層性の起点を探ってみたい。
◆2009年度 学生会員研究発表会(第3回)
【発表要旨】
女たちのネットワーク――『明暗』論――
修士課程一年 伊藤 かおり
『明暗』の登場人物間の〈関係〉性は早くから着目されていたが、これまで俯瞰的に論じられることはなかった。津田や小林、女たちを主軸に論じたものなど、いずれも特定の登場人物の〈人格〉を分析するに留まっている。
しかし、これまでのように特定の人物の〈人格〉をいくら追っても、『明暗』の核心に触れることはできない。なぜなら、〈主人公〉である津田自身がいわばテクストの「空所」とでもいうべき存在であり、その「空所」の解釈は津田の「思考停止」によって阻まれているからである。その「空所」に可能な限り接近するためには『明暗』に登場するそれぞれの人物が何を希求し、どのように呼応し、ネットワーク全体でどのような運動を生み出しているのかを明らかにしなければならないだろう。
本論は、津田を媒介にして形成されるネットワークと津田の〈欠点〉との連関について論じる。それは、女たちが津田の〈欠点〉の〈改善〉を求めながら、同時にそれを保持しできる環境を支えている矛盾がどこから発生するのかを明らかにし、津田の「空所=本音」が「つくられた」ものであることを論じることである。その意味で本論は、テクストの「空所」の解釈を『明暗』の結末と同一視する定説に対して再考を促すものである。
『源氏物語』六条御息所の視覚表現化における「型」としての蜘蛛の巣文様
修士課程二年 水谷 陽子
今日の『源氏物語』加工作品において、六条御息所が物の怪として現れる場面の視覚表現化に注目してみると、蜘蛛の巣と共に描かれることが多い。しかし『源氏物語』本文には、六条御息所と蜘蛛を結び付ける記述はなく、現代の『源氏物語』加工作品において見出される傾向であることがわかる。
この傾向が六条御息所の物の怪を視覚表現化する際の「型」として繰り返し用いられ、『源氏物語』本文は置き去りのまま、大衆文化における六条御息所のイメージが再生産され、定着していく。
ある「型」が特定の人物や場面に用いられる場合、享受者はその「型」にまつわる様々なイメージを読み取ると同時に、そのイメージがその人物、場面にふさわしいものであるかどうかを判断していると考えられる。
蜘蛛の巣文様という「型」が、「型」として受け入れられ、繰り返し用いられている今日の状況は、蜘蛛の巣と六条御息所を結び付ける何らかの要因を示唆するものであろう。
院政期の音と声――平家物語の世界から――
修士課程二年 鴨宮 美潮
音楽は人間の生活に密接である。これまでの歴史の中で、流行り廃れによる淘汰にみまわれた音楽のジャンルや楽器はあるものの、音楽そのものがすっかり消えた時代というのは知る限りではない。音楽は国の威儀を保つ規範として、あるいは修めるべき教養として、またあるいは生きていくための手段であり自己表現として、いずれの時代でも求められ、物語と等しく人の生活にとって不可欠であった。音楽は時代とともに様々に変化しながら、現代に至るまで人々を慰撫し、楽しませてきたのである。ただ、今と昔の違いとは、音楽の音や人の声が持つ意味合いが現代の考える所よりも更に深く強く人々に影響していたであろうということである。
今回、私は院政期に焦点を当てて、この期の音楽が前代と比べてどう変化したか、また、後代への影響について探ろうと考えている。
太宰治『右大臣実朝』論
修士課程二年 矢部 富仁子
『右大臣実朝』には『吾妻鏡』『金槐和歌集』の一部がそれぞれ引用されている。それらの引用部に焦点をあて、その箇所が選ばれた理由、また、作中における意味づけのされ方を考察してゆく。それによって、実朝がどのように造形され、その実朝像が何を伝えるものなのかを明らかにしたい。
『右大臣実朝』を創作するための『吾妻鏡』『金槐和歌集』といった一次資料は、本来の意味、つまり、史実や一般的な歌の解釈そのままで使われていない。あくまで、太宰が描きたい実朝にそって削除されたり、曲解されたりしている。部分的に抜き出され、利用された文章は新たな意味をもって、『右大臣実朝』の中で、作品により深みを与えるものとして生きている。そうして創り出された実朝は、策略や争いといった周りに立ちこめる暗い靄の中で、後世に残るような素晴らしい歌を残した大歌人であった。この実朝の姿には、小説家である太宰の文学へ向かう姿勢が示されている。
『宗祇諸国物語』に見られる撰集抄の影響――詩歌利用を中心に――
修士課程二年 小野寺 伸一郎
貞享二年(一六八五)正月刊行の『宗祇諸国物語』の典拠の一つとして、『撰集抄』の影響が江本裕氏によって指摘されている。氏は、『宗祇諸国物語』巻二の四「隠逸扉」の内容が『撰集抄』巻六の八と同工であるとし、本文中に「誠や西行法師の諸国修行して。まゝかゝる事を見しより。たゞにやみなんは。ほひなしと集て撰集抄となしけんも宣なるかな」という記述があることからも、『撰集抄』が直接の典拠である可能性を示されている。確かに、全国を旅する修行者が高徳の僧を歴訪するパターンの話は巻二の四以外にも『宗祇諸国物語』中に見られ、『撰集抄』の強い影響が窺えるが、この論では物語のパターンの類似のみならず、作中における詩歌利用という観点から改めて『撰集抄』の影響を考察していきたいと考える。併せて、『宗祇諸国物語』刊行前後の西村本における詩歌利用も考察することで、西村本諸国物語における『撰集抄』利用の変遷を辿っていきたいと思う。
高等学校国語科における地域教材を活用した授業構想
修士課程二年 齋藤 法明
子どもたちは、自らの生活する地域において獲得したことばを使用することで人々と交流し、ともに文化を築いていく存在へと成長していく。こうした子どもたちの生活している地域は高度経済成長を期に、それまで独自の文化を保持していた地域を全国的に均質化したものへと変容させていった。
地域の文化が失われることを食い止めるため、何より子どもたちに地域の言語文化に出会う機会を設けることを工夫したい。それは地域の言語文化を継承・発展させることにもつながると考える。同時に現在の国際化社会において、日本人として独自の文化を保持していることの必要性と無縁ではない。
国語科教育は子どもたちに地域の言語文化に出会う機会を作り出す役割を担っており、その課題は発達段階に応じた地域教材(地域にゆかりのある教材)の開発、学習指導の展開にある。本発表においては、以上の点をふまえ、高等学校国語科で地域教材を活かした授業構想を提案する。
ジェンダーを越境する女――『好色一代女』論
修士課程二年 大石 あずさ
井原西鶴の「好色物」第三作目となる『好色一代女』は、隠棲した老女(便宜上「一代女」と呼ぶ)が、訪ねてきた二人の若者に求められ「身のうへの昔を時勢(いまやう)に語」る物語である。本発表で注目するのは「時勢に」という指示だ。この言葉は、一代女が「身のうへの昔」をただ単に〈語る〉点ではなく、むしろ〈どのように語るか〉という語りのスタイルやアレンジが問われていることを意味する。
その語りの特徴を考えるため、巻二の三「世間寺大黒」と巻三の二「妖■寛濶女」を中心に検証する。語り手である一代女が、聞き手で構成される〈男のコミュニティ〉と好色風俗に身を置く女たちの構成する〈女のコミュニティ〉を媒介することによって、好色風俗を〈男〉ではなく〈女〉が内部から語るというスタイルに本作品の語りの特徴(=魅力)があることを論じたい。また、一代女がその媒体的性格ゆえに女のジェンダーを度々踏み越えてしまうことも指摘する。
「自己療養」から他者のための物語へ――村上春樹『国境の南、太陽の西』論
博士後期課程一年 川ア 恭平
いまだうまく位置づけられていない、村上春樹を論じるうえで欠かせないものとしては扱われてこなかった作品である。しかし、こうした従来の評価に反して、『国境の南、太陽の西』は村上の文学の変化を告げる、おおきな転換点となった作品だと考えられる。
これまで、村上の転換点としては『ねじまき鳥クロニクル』や『アンダーグラウンド』が注目されてきた。だが、この二作にさきがけて、『国境の南、太陽の西』には明確な変化への意志があらわれている。「大きな物語」なき時代に、生きていくための新しい物語をつくるという決意の表明である。ここを境にして、村上の作品は「自己療養」ではなく、他者のため、読者のためのものとなる。癒しや救済の物語として、読まれていくことになる。
『国境の南、太陽の西』が、村上の文学にとって決定的な転換点であることを示すとともに、それ以降の作品が抱える課題まで明らかにすることが、本研究の目的である。
◆2008年度 学生会員研究発表会(第2回)
【発表要旨】
永井荷風・『雨瀟瀟』の呼び寄せるもの
―芥川・谷崎の〈小説の筋〉論争をめぐって―
早稲田大学大学院教育学研究科修士課程 岸川 俊太郎
『雨瀟瀟』(『新小説』、1921・3)の発表された大正後期は、荷風文学の〈枯渇期〉と言われる。これまで『雨瀟瀟』に積極的な評価を試みた些少の考察も、作品内の評価変更にととまり、荷風文学の全体において、あるいは同時代の位相のなかで位置づけられることはなかった。しかし、『雨瀟瀟』はこの時期の荷風の文学的・文体的営為のすべてが試みられた〈小説〉観の重要な結節点として捉えられるものである。
この時期はまた、新聞の全紙面が言文一致化されるなど近代口語体がより均質なものへと浸透し、それによって支えられる〈近代小説〉のリアリティもまた自然化されていく時期である。多様な文体で綴られた『雨瀟瀟』の〈小説〉実験は、このような近代口語体の完成に差し向けられた近代表現史上の荷風の文学的、文体的転回点として位置づけ直すことができる。
こうした視点から捉えなおすときに浮かび上がってくるのが、〈小説の筋〉について論争した、芥川龍之介と谷崎潤一郎の二人による全く異なった『雨瀟瀟』評価である。〈筋〉のない小説を提唱しつつも、『雨瀟瀟』を、その表現上の実験性を捨象して〈筋〉としてのみ読んでしまった芥川、一方、「筋の面白さ」をもつ小説を主張しながらも、〈筋〉とは異なる『雨瀟瀟』の文体表現の意味を読みとった谷崎。ここでは、文学史的な定説としての〈筋〉をめぐる両者の立場は、表現形式の捉え方において、反転している。
『雨瀟瀟』は、〈荷風文学〉内の評価変更を超えて、〈近代小説〉の制度をそれぞれの立場から顕在化させた近代文学史上逸することのできない、芥川・谷崎の〈小説の筋〉論争の重要な指標となっている。その意味で『雨瀟瀟』は、〈小説の筋〉論争の定説に対して再考を促すものであるとともに、日本文学における新たな表現史を構想する上で、欠かすことのできない一事例を与えるものであると考える。
談話における格助詞「に」の省略について
早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程 苅宿 紀子
文章においては、助詞はほとんど省略されることはないが、談話においては、しばしば助詞が省略されることがある。話すときには、無意識で省略していることが多いと考えられるが、助詞の省略にも一定の法則がある。
本発表の目的は、談話における格助詞「に」の省略についての実態調査とその考察である。本発表の調査では、資料として助詞の省略が起こりやすい「雑談」を用いて分析した。
格助詞の「に」は多様な意味・用法を持っているため、まず用法別に出現傾向を調査した。その結果、「に」の場合は用法ごとに助詞の用いられ方に違いがあり、着点を表す「に」が特に省略されやすいことがわかった。着点の「に」が省略されやすいことは先行研究でも指摘されてきたが、着点以外の用法でも省略される例が少ないながらも出現した。
本発表では、用法ごとの用例を更に分析し、なぜ助詞が省略される場合とされない場合があるのかについて考察した。
中学校国語科における読解指導を活かした読書指導の授業構想
早稲田大学大学院教育学研究科修士課程 堀 佑史
本発表では、読解指導と読書指導を一単元として効果的に関連させた中学校国語科の授業構想を提案することを主な狙いとする。
まず近年の中学生における読書指導に関する現状を社会的状況や学習指導要領などから確認する。また、学習者の読書生活に関する実態把握をするため、中学生における読書の実態と主に文学教材の授業への意識、その問題点をアンケート調査から分析し考察する。そして、国語科教育において読解指導の授業と読書指導をひとつの授業として効果的に関連させることや、学習者の読書生活向上を授業の中で計画することの意義を国語科教育の歴史的な研究にふれつつ考察する。
以上の点をふまえ、中学校国語科における読解指導を活かした読書指導の授業の実践構想を提案し、本発表の主張と全体的な総括とする。
「悲しみ」の歌い方―詩の授業で中也を読む
早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程 伊藤 優子
国語教育において、詩はどのように読まれているのだろうか。また、積み重ねられた文学研究の成果は、現在の教育現場にどのように活かされているのか。本発表では、中原中也の詩「汚れつちまつた悲しみに……」を材料に、以上の問題を考察する。
現在、中学校・高等学校の国語教科書にはほぼ必ず詩を学習する単元があり、なかでも、中原中也の詩の採用数は多く、そのうちの数篇はすでに定番教材と呼べるだろう。しかし、詩の教材化の現状をみてみると、必ずしも文学研究の成果を十分に反映しているとは言い難く、教室での詩の読まれ方が固定化しているきらいがある。
そこで本発表では、中原の研究動向をふまえながら、指導方法の代表として、この詩を採用している教科書会社発行の指導書を対象に、その問題点と新しい読みの可能性を検討したい。この詩を取り上げるのは、この詩が中原中也の詩人としての特徴をよく表している一篇だと考えるからである。
『西鶴諸国はなし』巻二の五・「夢路(ゆめぢ)の風車(かざぐるま)」における物語空間についての分析
早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程 水上 雄亮
一般に「異界の物語」は「超/越えられない世界の限界を超/越える」というパラドックス的契機によって可能となるが、『西鶴諸国はなし』巻二の五・「夢路の風車」の場合は「奉行」と「女商人」とのセットがその役割を果たす。両者は飛騨でも隠れ里でもない「夢」という別の領域において交信し、その結果物語空間には「飛騨/隠れ里/夢」という3界構造が発生する。
「飛騨/隠れ里」、「隠れ里/夢」という二つの世界対のはざまにあって、中間項たる隠れ里は二重に規定され、理論的緊張を孕む。それは、登場人物にとっての日常/非日常の反転として現象するだろう。これが「夢路の風車」における怪異の構造的位置づけである。
通常の「生者」ではない「異形の住人」としての、「亡霊(spirit=ghost)+死体(body)=生ける死者(living dead)」としての女商人が隠れ里に回帰することで、彼女らにまつわる殺人事件は解決する。だが、それに継起して「女商人の怨念の不在=夢の世界の消滅」を日常世界に表象する「嶋絹」という過剰な存在が飛騨の日常世界にもたらされる。それゆえ、日常性を取り戻す隠れ里とは対照的に、飛騨の日常世界は微妙ではあるが決定的に異化された、それ自体が異界としてある。
ところで、怨念の解消は「3界構造の消滅=物語空間の収束」を意味するだろう。飛騨と隠れ里との(再)交通可能性は失われ、「異界」は端的に「ない」とするほかなくなってしまう。そればかりか、「異界が存在したという過去」さえも消滅するだろう。つまり「奉行の不思議な体験」としての「夢路の風車」という物語は抹消された。結局残されるのは「飛騨のどこかに隠れ里がある」という真偽定かならぬ伝説のみである。
◆2007年度 学生会員研究発表会(第1回)
【発表要旨】
国語教育における学習者の実態を探る
―「中学生・高校生の言語活動と言語生活に関する意識調査」から―
修士課程二年 遠藤 史博
国語教育研究の本質は、いま、ここで「ことば」に関わる学習者の実態への確かな視座を常に失ってはならないということである。
早稲田大学大学院教育学研究科・町田守弘研究室では昨年、2006年度修士課程1年生(現在修士課程2年生)を調査メンバーとして、「中学生・高校生の言語活動と言語生活に関する意識調査」を実施した(なお調査方法は質問紙調査、調査対象校と生徒数は中学校18校1931名、高等学校20校1914名である)。本発表はこの調査結果にもとづき、何よりもまず学習者のさまざまな言語活動と言語生活における意識の実態について明らかにすることを目的とする。そして今日の国語科の授業を構想するにあたって課題となる点、また実際の学習指導の上で工夫が必要とされる点などについても、調査結果によって明らかになった学習者の実態に即して具体的に考察および提案する。
季語と季感 ―芭蕉連句を中心に―
修士課程二年 野村 亞住
連句には、季語を詠み込んだ季の句と、季語を入れずに詠む無季の句とがあり、四季の変化や人事の変化が様々に展開する。こうした「変化する連句」の世界にあって、季節はどのように詠み込まれてきたのだろうか。
従来、連句の季語の実態は発句ほどには明らかにされてこなかった。そこで、芭蕉一座の連句について季語の実態を調査してみると、季語の用法にはルールがあり、当時季語として認定されていない語にもあえて季感を持たせるなど、芭蕉の季語の扱い方には発句からうかがわれる季語の用法とは異なる特徴が見いだせる。
芭蕉連句の中には、どうしても季の句でないと式目に抵触する箇所がある。本発表では、こうした箇所に焦点を絞って、芭蕉の連句における一句が表現する季節感と季語の詠み込み方を論じつつ、連句における季語の実態の一端を明らかにしてみたい。
次世代に伝える ―司馬史観・大佛史観と読者達―
博士後期課程一年 續谷 真紀
近代文学には、明治維新という歴史的事件が深く影を落としている。それは、近代文学者に維新の敗者出身が多いということ、また、大正末期から昭和初期にかけて隆盛した大衆文学が、幕末を主に取り扱った作品が多いということでも明らかであろう。明治維新直後は「賊軍」と言われ、否定的視線で見られた佐幕派の人物達が、現代において「市民権」を得たのは、大衆文学を初めとした文学作品の力によるものが大きかったと考えられる。ただ、「敗者」の文学は、「敗者」達の生き方にドラマ性を与え、読者の共感を集めると共に、歴史の中の「敗者」の存在意義を弱めることとなった。維新の「敗者」を物語の登場人物としてではなく、歴史の中に位置づけることが今後の課題となるだろう。本論では司馬遼太郎の文学、大佛次郎の「天皇の世紀」という戦後の幕末維新文学から、「勝者」「敗者」という二つの二項対立を超越した今後の維新観を導き出していきたい。
『女給』論 ―広津和郎における女性表象の問題―
博士後期課程一年 中沢 知史
長篇小説『女給』は広津和郎の諸作品中、大きな商業的成功を収め、また極めて話題性の高い作品であった。登場人物のモデル問題で「「女給」騒動」を、作品の映画化、レコード化に伴って著作権をめぐるトラブルを、それぞれ引き起こすなどスキャンダラスな性格を持ち合わせている。そのゆえにか、これまでの広津論では、作品の周囲で起きたこれら事件への言及にとどまることが多く、内容にまで踏み込んだ分析を行なっているものは数少ない。
一九二〇〜三〇年代の都市空間で流行した「カフエー」とそこで働く女給たちは、男性知識人の興味関心の的となり、さまざまな観点から語られ意味づけられていた。またメディアの欲望は『女給』のなかの「母性」と「涙」を読者の共感を誘う装置として見出した。本発表では、このような言説状況と『女給』とが取り結ぶ関係を検証し、広津の企図した女性表象が孕む問題を考察する。
『狗張子』論 ―巻六ノ五「杉田彦左衛門、天狗に殺さる」を中心に―
博士後期課程二年 塚野 晶子
寛文六年(一六六六)に刊行された『伽婢子』、元禄五年(一六九二)一月に出版された『狗張子』。これら二作品はともに、浅井了意の手による怪異小説短編集である。前者『伽婢子』は、その文芸的意匠や翻案手法について今日では高い位置づけがなされている。
しかしながら、『狗張子』の文芸的意匠については、これまでの研究では殆ど取り上げられてこなかったようである。そこで本発表においては、『狗張子』を巻六ノ五「杉田彦左衛門、天狗に殺さる」を中心に読解を進めてゆく。本編はこれまでにも先学から、典拠の指摘がなされている。しかしながら本編を通読してみると、これまでに典拠として指摘されてきた作品群との共通点は、部分的なものに留まっているように思われ、再検討の必要性を感じた。
本発表では、先学の意見を踏まえつつ、了意自身の著作である『堪忍記』との関連性を指摘する。そして典拠と比較した際の、本編の主人公の人物設定や展開上の独自性に着目することで、『狗張子』の新たな文芸的意匠を見出したいと考える。
教材研究「敦盛最期」
博士後期課程二年 菊野 雅之
本発表は中学二年次の定番教材「敦盛最期」(『平家物語』)の読みについて提案するものである。直実が敦盛の頸を刈り、義経にその頸を見参に入れていることに特に注視し、父性愛から武士である我が身を嘆く直実の姿を理解するだけでは、直実という人物への読みは不十分であることを、これまでに示された実践報告・教材研究等も踏まえながら示したい。また、教科書における「敦盛最期」は、「狂言綺語の理」について述べた文を削除した形で示されているが、その一文の読みを採用することで、生徒の理解がより多面的になる可能性を示したい。
文学史教材としての『源氏物語』「絵合」巻
博士後期課程三年 有馬 義貴
学校教育において学習する古典文学作品は、いずれも文学史上、重要な作品ばかりである。しかし、それらを学習する順序については、文法的なレベル等にも左右され、必ずしも文学史の流れにそったものという形にはならない。また、教材(学習材)がそれぞれの作品のごく一部を切り取ったものにならざるを得ないということもあり、個々の作品の学習と文学史の学習とは、学習者にとってやや有機的に結びつきにくい状況にあるもののように思われる。そのような状況を打開するための教材の一候補として、本発表では『源氏物語』「絵合」巻における物語絵合の場面を取り上げる。定番教材である『竹取物語』や『伊勢物語』への言及などをはじめとして、この場面は、文学史理解及び作品理解に関わるさまざまな学習要素を内包しているように思われる。それらについて考察することで、『源氏物語』「絵合」巻の文学史教材としての可能性を探っていきたい。
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